1.
俺のクラスに早生速水と言う女子がいる。ショートカットが似合う子で、大人っぽい綺麗な顔をしている。スタイルも抜群だ。ちょっと男言葉も使うが、サッパリとした性格で、男女共に人気は凄かった。男子の中には、早生とすれ違う度に振り返っては壁にぶつかるといったような輩もいた。
しかし、彼女はかなり勝ち気で、学年でトップの成績を保ち、その上スポーツも万能だ。普段男子には笑顔は見せない。そのため、今まで浮いた話しが出たことはない。
彼女とは中学も一緒だった。中学の時は陸上部の短距離の選手で、全国大会の常連だった。
何故か色んな学校からのスカウトを断って、この南西高校に入った。陸上部がなかったため、バスケ部に入ったらしい。
今ではバスケ部のエースであり、部長でもある。そして、俺達は部活も一緒なのである。
「佐野ー!」
バッシュを履いてると、早生が俺の名前を呼んだ。
「何だよ?」
「練習しないんだったら女子にコート貸してよ。」
「えー!」
「一年なんか遊んでるじゃん。部長なら注意しなよ。」
そう、人をまとめることがあまり得意でない俺が、なぜか男子の部長なのだ。
「分かった、分かったからちょっと待てって。」
「まったく。佐野がしっかりまとめないからいつまでたっても弱っちくて、一回戦で負けんだよ。」
「うっ‥‥」
いつも同じ様なやり取りをしているが、返す言葉が見つからない。女子は早生がチームをまとめるようになってからは特に強くなり、県内でも上位の方にいるのに、男子はいつも一回戦負けという悲惨なものだった。部長としての力量の差は歴然だ。
「練習するんだったらさっさと始めてよね。」
そう言い放つと女子の練習に戻って行った。
「いや~、早生さん相変わらずキツイね~。」
副部長の川口がやってきた。どうやらこの様子を見ていたらしい。
「ところでさ、今日残って3on3やんねー? 今誘ってんだけどなかなか集まんねーんだよ。」
川口の言う3on3とは、金を賭けてやるもののことだ。
「俺はパス。金ないし、今そんな気分じゃないから。」
「ほーぉ。さては早生さんに怒られて、凹んでんだろぉ?」
川口は冗談で言ったんだろうが、俺はドキッとしてしまった。
正直、早生に怒られると心にグサッとくる。反論しようがないくらい、正論だからだ。それは、相手が男子であろうと女子であろうと関係ない。どちらかというと、男子に対する意見の方が厳しい。後輩達も、同じ二年生達も事あるごとに早生を頼っていた。あれだけ女子がくっついていたら、男も近づきずらいだろう。
このように、俺は彼女に一目置いてはいたが、“守ってあげたくなるような”女の子が好みだったので、恋愛対象としては見てなかった。
――クラスメイトの佐野智哉は、すごくお人よしな人だ。バスケ部の部長のくせに、後輩に注意することは少なく、自分でゴールを出したりモップをかけたりの雑用をやっているような人だ。
なぜ彼が部長なのか疑問なところだが(本人も疑問に思っているだろう)、それは彼がすごいプレーヤーだからであろう、と私は考えている。
185cmと長身なのに、すごく素早くて、誰よりもボールさばきが上手い。本人は気付いてないみたい(そこが難点なんだよね)だけど、試合中は別人のようにチームをまとめ上げ、一躍注目を浴びる選手になる。その上ルックスもかなり良いので、他校にもファンは多い。(南西高校内にはファンクラブまであるのだ!)
普段の練習からちゃんとまとめれば、もっと強くなれるのに‥‥。
「速水~。また佐野君のこといじめてたの?」
「麻里ってば人聞き悪いこと言わないでよ。注意してきただけです。」
「速水ってば。佐野君のこと好きならもっと素直になりなよ。」
「わー! ちょっと、もう少し小さい声で喋ってよぉ!」
そうなんです。私は佐野が好きなんです。中学の時、友達に誘われて男バスの試合の応援に行った時、ボロボロにやられてて、他の人は戦意喪失しているのに、最後まで諦めないで戦っていた彼に、心奪われてしまったのである。
だから彼と同じ高校に入った。離れたくなくて‥‥。
勉強もスポーツも得意だけど、恋愛に関しては全くの初心者だった。
今話してる相手、萩原麻里は、私の親友である。恋愛経験豊富でそっち方面の相談相手なのです。
「あ、ゴメンゴメン。でも、ホントに好きなら素直にならなきゃ、叶う恋も叶わなくなるよ?」
「‥‥さ、練習始めるよー!」
「もう! 速水ってば!」
自分でも分かっていた。元々男子が苦手で、なるべく関わらないようにしていたら、いつのまにか「男になびかない女」と言われるようになった。そんなことを言われたら、ますます男子と本音で話すことなんてできなくなってしまうではないか。
ああ、きっと佐野の目には、「可愛くない女」として映っているんだろうなぁ。
その日の部活が終わって、体育館を見ると、川口達は珍しく早々と帰途に着いたようだった。
(やった! 今日は出来る!)
私にはある秘密があったのだ。
――練習が終わって帰ろうとした時、体育館の明かりが点いていた。
(川口達か?)
俺は体育館を覗いてみた。そこにいたのは川口達ではなく、早生だった。
(早生‥‥? 何やってんだ?)
早生は自主練習をしていた。色んな場所からシュートを打ち、納得できないと舌打ちをし、首を傾げ、綺麗にアーチを描き、シュートが決まると小さくガッツポーズをして満足そうな笑みを浮かべた。そんな様子をしばらく見ていると、早生が俺に気付いた。
「佐野? 何してんの?」
リストバンドで汗を拭いながら早生は俺の方へ来た。
「別に何も。シュート練、いつもしてんの?」
「ん、川口達がいない時だけだけど。」
息が乱れていた。ずっと練習してたのだろう。
「あーあ、佐野に見られちゃったか。」
「え?」
「シュート練してるとこ。努力を人に見せるの嫌いなんだよね。」
「なんでだよ?」
「だって‥‥努力って見せるもんじゃないと思うからさ。だから誰にも言わないで。お願い!」
「‥‥言う訳ないだろ。」
「サンキュー。」
「どれくらい練習する予定だよ?」
「あと一時間位かな。」
「えー! 九時になるじゃん! かなり遅い時間になるぜ?」
「だって人がいない時って少ないじゃん? 少しでもシュート率上げたいしさ。」
早生のシュート率はかなり高かった。試合では、チームの得点の半分近くを早生が取っていた。
それでもあまりシュート練習してるところを見なかったから、シュート率の良さは才能も相まってのことなのだろうと思っていた。こんなに努力していたことを俺は初めて知り、俺は早生のことを尊敬した。
そんな時、早生が思いがけないことを口にした。
「あのさ、私、佐野ってすごい上手いと思うのね。他のメンバーだって良い筋してるし。だからさ、佐野がもっと普段からチームをまとめていけば男子は強くなると思うよ。県大会出場だってできるんじゃない?」
早生が俺を褒めた。俺が上手いって? なんだか心を擽られるような感じだった。顔がにやけてしまいそうになる。
「じゃあ俺も練習して帰ろうかな?」
照れ隠しのつもりでそう言った。しかし、早生は意外な反応を見せた。
「よっしゃ! そう来ると思ったよ!」
早生は悪戯っ子の様に笑いながらボールを投げて来た。普段男子に笑顔を見せることのない早生が笑った。
心臓が高鳴った。
早生ファンの輩が見たら、大興奮間違いなし、といった感じの笑顔。普段、『大人っぽくて綺麗』と言われる顔が、とても可愛く、そして幼く見えた。
その後一時間位の練習をして帰ったのだが、その間、早生は俺がシュートを決めたり、少し冗談を言ったりしたことに、見たことないような笑顔を見せた。
俺はドキドキしてるのが、息があがってるせいなのか、早生の笑顔のせいなのか分からなかった。
――まさか佐野に見つかるとは思わなかったな。
シュート率を上げるために、部活後に練習してることは、麻里以外には言っていない。努力って人に見せるもんじゃないって思ってたから、わざわざ川口達のいない日に練習してたのに‥‥。
でも、それ以上に自分にビックリした。まだ言葉はそっけない感じだったと思う。でも佐野とちゃんと普通に喋れた。しかも笑顔まで自然に出てきた。普段は絶対男子の前なんかで笑わない。てか笑えないのに。でも、学校でもそうできるかな‥‥? 明日麻里にこのことを報告しよう。
――学校では相変わらず近づきがたいオーラを出している。昨日、体育館にいた人物と、今このクラスにいるあれは、果たして同一人物なのだろうか。昨日から俺の心臓はドキドキしっぱなしだ。しかし、その理由は未だ掴めないでいた。
「佐野ー!」
川口が教室にやってきた。
「朝から騒々しいなぁ。何か用か?」
「なんだよー冷たいなぁ。ちょっとした噂教えてやろうと思ったのにさー。」
「どんな噂だよ?」
すると川口は声を低くして話し始めた。
「早生さんの後輩達が言ってたんだけどさ、早生さん、恋してるらしいぜ。」
俺は一瞬ドキッとしたが、冷静に会話することを心掛けた。
「なんでも萩原さんとそういう類の話をしてたらしいし、この前告ってきた奴を、好きな人がいるからって振ったらしいし。」
「そりゃ早生だって恋の一つや二つするだろ。」
そういいつつ、俺の頭の中では、恋と言う字と、早生がなかなか結び付かなかった。
「だってあの早生さんだぜ? 男になびかない女が恋するなんてすげーだろ?」
「まぁ‥‥確かにね。」
そこまで言ったところでチャイムが鳴った。
「やべっ! 次移動しなきゃいけねーんだった! じゃあな、佐野。」
川口は慌てて戻って行った。
授業中、ずっと川口が言ったことが頭から離れなかった。早生のことをつい目で追っていた。
(早生に好きな奴が‥‥か。ああ、だから昨日あんなに笑ってたんだ。きっと好きな奴と良い感じになれたんだろう。恋をすると、綺麗になるって言うしな。)
そう思いつつ、その相手の男を羨ましいと思う自分がいることに気付いた。
――「速水~。顔がにやけっぱなし。『クールで男になびかない』早生さんはどこに行ったのよ?」
購買のパンをかじりながら麻里が言った。
「そ、そう? か、唐揚げが美味しいからだよ。」
「ふふん。周りの人は気付いてないみたいだけど、このあたしはごまかせないわよ。なんかあったの?」
私は口をもごもごさせながら、昨日のことを一部始終話した。
「‥‥まじで? すごいじゃん! ちゃんと話せたんだぁ!」
「麻里ってば声大きい!」
私は慌てて周囲を見渡した。といっても、ここは屋上で、私達以外に昼御飯を食べてる人は誰もいないから大丈夫なはずなんだけど、どうも条件反射ってやつで、焦ってしまう。
「少し前進って感じかな? それで、どこまでいったのよ?」
「へ?」
「佐野君と。キスぐらいしたの?」
「な、何でそこまで話しが飛躍するの! 何もないから!」
まったく。麻里ってばいつもこうなんだから。
「で、麻里の方は最近どうなの? 北東高校の彼とは。」
「あー。別れた。」
「え! なんで?」
「だーってエッチ許した途端、会う度に迫られるんだもん。だから嫌になったのよ。」
「‥‥またですか‥‥。」
麻里は自分から告白したことがない。中3の時にはもう既に処女ではなかった。今まで付き合った数は十人以上だと思う。学校の人達は、麻里のことを軽い女だとか、ヤリマンだとか、影で色々な悪口を言っていたが、麻里は決して遊び人なんかじゃない。誰彼構わず付き合う訳じゃないし、告白されてもその相手と何度か会い、愛情が芽生えなければ付き合わなかった。しかし、セックスまで関係が発展すると、途端に別れてしまう。「男はヤラせた後に本性が判るのよ。あたし、男見る目養い中だから。」と麻里はいつも言っている。
「ま、佐野君はそんなタイプじゃないと思うけどね。」
何を根拠に言ってるのかよく解らなかったが、取りあえず頷いておいた。
「速水はいいなぁ。好きな人いてさ。あたしから好きになったことって、ないもんなぁ。」
「何? 厭味?」
「いや、まじでそう思うのよ。羨ましいなってさ。そういう人に、まだ出会ってないのかも‥‥。」
「私だって佐野が初めてだよ。」
「あたし、今まで付き合ってきた人のこと、ホントに好きだったか疑わしいんだよね。別れる時そこまで淋しくないし‥‥。」
「麻里‥‥。元気だしなよ! これからだってば。麻里が元気じゃないと気持ち悪いよ。」
「何よ、気持ち悪いってぇ! 失礼しちゃうなぁ。」
麻里はぷぅっと膨れて、パンをかじった。
白い肌、お人形のようなぱっちりした目に桜色の唇の麻里。少し焦げ茶色のセミロングの髪が風になびいて綺麗だった。私みたいな短い髪より、麻里の髪形の方が男子の好みだろうなぁ、などと考えていた。
私にしてみれば、男子の前でも女子の前でも素直になれる麻里の方が、よっぽど羨ましかった。
――あの噂を聞いてから一週間がたった。
相変わらず部活では早生の迫力に男子が圧倒される日々が続いていたが、男子の中に変化が起きた。
それは、俺がチームをまとめるようになったことだ。数日前、試合を三週間後に控え、ミーティングを開いて真面目に練習に取り組もうと呼び掛けたところ、みんながそれに答え、真面目に練習に取り組み始めたのだ。いい加減、一回戦負けをすることに嫌気がさしてきたらしく、恐いくらい目がマジだった。
その日の部活後、俺はまた早生と自主練習をしていた。
「最近男子、ちゃんと練習してんじゃん。」
ドリブルをしながら早生が言った。
「まーな。」
「男子、強くなるよ。絶対。」
「いやぁ、そう言ってもらえるとなんか照れるなぁ。」
ちょっと照れ笑いをしながら、シュートを打った。
――佐野ならちゃんとまとめてくれるって信じてた。これからの男子の成長ぶりが楽しみだな。
「でもさ」
シュートを打ちながら佐野が言った。
「ちゃんとやろうって思えたの、早生のお陰だぜ。お前がやればできるって言ってくれたから‥‥。ありがとうな。」
すごく嬉しかった。好きな人に『ありがとう』を言われることが、こんなに嬉しいことだなんて今まで知らなかった。
顔が熱い。
不覚にも、赤面してしまったのだった。
何て言葉を返していいのか解らず、悟られないように、シュートを打ち続けていた。
――なんだか、早生の顔がさっきよりも紅くなってる気がした。
ふいに、川口から聞いた噂を思い出した。
“早生さん、恋してるらしいぜ‥‥”
どんな奴だろう。早生が惚れるくらいだから、相当良い男で、できた奴なんだろうけど‥‥。なぜかすごく気になる。
「なぁ、早生。川口から、聞いたんだけどさ‥‥。」
「ん? 何を?」
「お前、好きな奴、いるんだって?」
その瞬間、早生の目が真ん丸くなって、耳まで顔が真っ赤になっていた。
「なっ、なにそれ! そんなう、噂‥‥どっから出て‥‥きき、来たのよ?」
なんて素直な反応だろう。この早生の動揺ぶりから、この噂の信憑性は高いものであるということは明白になった。
「まーまー照れるなって! で、誰なの? 俺、口堅いから大丈夫だよ?」
からかうように聞くと、早生は益々赤くなった。
(うわっ、かわいい‥‥)
俺からふっかけた話題なのに、変にドキドキして、早生の答えを聞くのがなぜか怖いように感じた。
「‥‥。」
何も答えない早生。ふと見ると、早生の目にはうっすらと涙が滲んでいた。そして、憎々しげに俺を見つめていた。
「誰だって‥‥いいじゃん。さ、佐野には‥‥関係ないでしょ!?」
そう叫んだかと思うと、早生は体育館から走り去ってしまった。
「え? あっ! 早生!」
後を追ったが、さすがは元・陸上短距離全国大会の選手、既に彼女の姿はなかった。
俺の胸には強烈な罪悪感が生まれた。そして、調子に乗ってしまったことを心から悔いた。
(なんであんなことを‥‥早生に、あんな顔をさせたかった訳じゃないのに‥‥)
早生の、まるで俺を恨んでいるかのような(いや、実際恨んでいるのかもしれないが)あの目。その瞳の奥には、うっすらと悲しみが宿っていた。
俺はしばらくその場から動けずにいた。
早生の真っ赤な顔を思いだし、佐野の胸はまたドキドキしていた。
――なによ。佐野の馬鹿! 私の気持ちも知らないで‥‥。言える訳、ないじゃんか。だってきっと、佐野は私のことなんて‥‥。
我ながら情けない考え方だとは思う。でも自分に自信なんてもてない。佐野の好みが、自分とは掛け離れてるってことも知ってるから‥‥。