ゆらゆら、りゅんりゅん1

女性もえっちな妄想をしてもいいんです。
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アダルトな読み物のお部屋

ゆらゆら、りゅんりゅん1
2021年07月05日 23時28分
素人羞恥娘。

いよいよ最終段階だ。ここでしくじったら、1週間が水の泡。せっかくの今日からの旅行も憂鬱なものになってしまう。
 今、僕の目の前には丸く平べったい寒天プレートがあり、その表面には、3日間、丹念に愛情込めて育てた大腸菌がびっしりと生えている。
 バーナーで滅菌した針金でその一端を軽くすいっと拾い上げ、培養液の入った試験管へ浸ける。さらに、3ヶ月かけてようやく分離した新たなDNAの溶液をピペットで一定量だけ慎重に吸い上げ、それも大腸菌を入れた試験管へ。
 軽く試験管を振り、すぐにクラッシュド・アイスの中へ突っ込む。
 手順どおり1分間を待つ間に、僕は腕時計を見て時間の配分を決める。2時を回ったところ。約束まであと1時間。家まで自転車で15分、そこから荷物の確認をざっとやって...うん、余裕。
 キッチンタイマーがpi-pi-pi-piと、1分を告げた。僕は試験管を素早く氷の中から抜くと、小走りで隣の部屋に行き、培養器に突っ込んだ。

 終わった。
 これで3日後には、より早く目的の酵素を作る大腸菌が出来るはず。

「すいません、じゃあ皆さん、お先にっ」
 僕はびしと手を上げて、周りの実験台に向かっているほかの研究所員たちに言い放つと、白衣を脱いで無造作にロッカーに放り込む。
「いいなあ、温泉かあ」
「お土産はいいからね、いや、どうしてもって言うんなら別だけど」
「裕美子ちゃんによろしくな」
 口々に好き勝手な事を言う所員たちの羨望の視線を浴びながら、僕は平然とリュックを担ぎ上げた。
 正月も休まず働いた。他の所員たちと違って、実家にさえ帰れなかった。世紀の変わり目を大腸菌まみれで超えた惨めさのぶん、たっぷりと足を伸ばさせてもらうのだ。
 クリーム色で固められた無機的な廊下を駆け抜けると、眩い外の自然光が僕を包んだ。
 今日は寒さも一休みといったところ。バイクのペダルをこぐ足も、自然、軽くなる。

 僕のアパートは、研究所からだらだらと長い坂道を上った天辺にある。いつもは途中から降りてバイクを押すのだが、何となく今日は最後までこいで上ってみたい気分だった。
 最初は良かったが、やはり中腹で顎が上がってしまう。結局降りて、押すことにした。
 と、前に見慣れた後ろ姿があるのに気付く。
「裕美子っ」
 声を掛けると、彼女は振り返った。
 ああっ!といった表情で裕美子は、「誠一、今終わったの?」と、頬を緩ませる。
「うん」
 見上げる格好で僕は頷いた。
 裕美子と僕は、今日から温泉旅行に行くのだ。

 僕の部屋で、いったんくつろぐ。
 六畳ワンルーム。住んで2年。築15年で至るところはガタがきてるが、静かだし、南向きで気に入っている。
「来るの早すぎない?」
 僕は訊いた。いくら合鍵を渡していても、1時間前に来るのは待ち疲れるんじゃないか?
「いーの。だって、誠一の帰り待つのも楽しいもん」
「楽しい?」
「うん。だって、待つ間、いろいろ想像してたら楽しいじゃん。それに、好きな人が目の前に現れる瞬間ってね・・・んふふッ」
 裕美子はひとりで勝手に想像して嬉しそうに笑いながら、何気にテーブルに広げてあったmono magazineに目をやる。
「誠一、“ちゅう”しよーよ」
 裕美子が顔を上げて、黒目勝ちの瞳を輝かせて言った。
 僕は洗面用具をボストンに詰め込む手を止めて裕美子のところまで行き、ちゅっと唇を合わせた。
 すると裕美子は「なんっか、義務的だった~」と、不満そう。
「どうしたいの?」
 困ったように肩をすくませて僕は言った。
「もっと激しいやつ」
 裕美子は唇を尖らせる。
「お前、考えた事そのまま言ってるだろ?」
「うん」と、満面の笑み。
 今度はさっきよりも長くて、ちょっと貪り合うという感じのキス。
 キスした直後に一瞬見える、目を閉じたままの裕美子の表情が好きだ。まだ夢を見てるような、ふにゅうっとした表情。キスするたびに、このコとのキスっていいなあと思う。

 裕美子と付き合いだして、2年になる。研究所の先輩が誘ってくれた合コンで知り合って、そのときお互い映画好きということで意気投合、メル友、さらに一緒に映画を観に行く友達、そして彼氏・彼女、という風に関係を発展させてきたのだ。
 ここ半年間、研究所のプロジェクトが忙しくて彼女にろくに構えなかったから、この旅行はちょっとした埋め合わせだ。電話やメールはやり取りしていたものの、不在だけが愛を育てる、と誰かがいつか言ってたけど、本当だと僕は思う。今日という日をどれだけ待ったことか。彼女も口には出さないけれど、結構きつかったと思う。たまにここに泊まりに来ても、僕は疲れてエッチもせずに寝てしまうこともあった。
 だからこそ、この3日間は3年分ぐらいの価値がある。
「行くか」
 荷物をまとめ終えた僕はバッグを担ぐと言った。
 裕美子も「おうっ!」と、華奢な手を掲げた。

僕のアパートは、20年前に開発された学園都市の端っこにある。
 地面を削って山と谷を作り、必要なところだけ木を切らずに「自然」と称して残してある。そして所々には各企業が持つカラフルな建物が点在している。それらは、僕が勤めているような研究所だ。この街は、すべてが人工的。皮肉めいた言い方だけど、でも、そこが僕は気に入ってるんだ。
 僕はアパートからちょっと歩いたところにある駐車場からヴィッツを滑り出させ、裕美子を助手席に拾う。
 緩やかに加速し、街外れから高速に乗る。
「これ乗るの、久しぶりだね」
 裕美子がはしゃいだように言う。
 裕美子がこの日のために作ってきたというMDをかける。m-floの軽快なリズムが車内に溢れる。運転している僕の気持ちも軽やかになる。

 道は空いていた。
「この調子だったら、あと3時間半ぐらいかな」
 調子よくアクセルを踏み込んで僕は言った。
「いいねー。向こうでゆっくりしようねー」
 からりと明るい裕美子の声。
「なんせ誠一は、ずっっっっと働き詰めだったんだから、疲れることしちゃダメだよ。向こうに着いたら、わたしが思いっきり癒したげるからね」
 僕は横目でちらと裕美子の笑顔を見て、「ごめんな」
「んー?」口許を綻ばせ、裕美子が首を傾げる。「なにがあ?」
「なかなか会えなかったじゃん、ここ半年ぐらいさ。それも、オレの都合ばっかで」
 その刹那、裕美子の笑顔が微かに蔭ったような気が、した。
 ほんの少し温度が下がった、ふたりの間にある温度。
「なに言ってんすかーっ! 水臭いこと言わないの」
 裕美子が茶化すように手をひらひらさせ、言った。
 思えば僕はこのときすでに、心のどこかで引っ掛かっていたのかもしれない。裕美子の様子が、ほんのちょっぴり変だったことに。なにかを隠すために、ことさら明るく振舞っているような。でも、元々明るいコだし、久しぶりに会ったこともあって、はしゃぎ気味なのだろう、と、そんなに気に留めなかったのだ。

 車が緩やかな弧を描いてカーブを曲がっていく。雲ひとつない空から日の光が車の中に広がっていく。僕はバイザーを下ろした。
 裕美子もバイザーを下ろしながら、「寂しかった?」と、僕に訊いた。
「‥‥うん。寂しかったよ」
「じゃあ、今わたしと一緒にいて嬉しい?」
「嬉しいよ」
「楽しい?」
「うん、楽しい」
「はい」と、裕美子は彼女の膝に抱えていたリュックの中からガムを一枚取り出して、僕の口許に持ってきた。僕は口を突き出すようにして、ガムを口の中にくわえ込んだ。
「今ハマってるの、マンゴー味のガム」
 ふにゅふにゅとガムを噛みながら、僕は「うまいね」と率直な感想を述べた。
「でしょお」
 彼女も嬉しそうに、うんうんと頷いた。

 裕美子は以前、同じ学園都市の中にある別の会社の研究所で働いていた。でも、僕のような研究員ではなく、単なる事務員だ。だから、僕が酒造会社で働いていると聞いても、まさか遺伝子の研究をしているとは信じられなかったようだ。しかも、医療技術の研究とは。
 そのうち彼女は隣町にある支社に移る事になり、それまでのようにべったり会うことも少なくなるのは自然だった。そのぶん、たまに会える時の喜びはひとしおだと思っていた。
 はっきり自慢するが、彼女はかなりかわいい。大きな黒目勝ちの瞳は濡れたように光を帯び、ぷっくりと肉感的な唇が男の本能をくすぐる。顔だけでなくプロポーションもなかなかなもので、高校時代水泳で鍛えた身体のラインがしなやかに凹凸を描いている。

 僕は裕美子を見る。
「その服、そそるなぁ」
「前見て、前」
 裕美子がフロントガラスを指差す。
 彼女は赤いタートルネックのセーターを着ていた。それはぴっちりと胸の膨らみを浮かび上がらせている。
「作戦なの」
 裕美子が言った。
「作戦?」
「そっ、作戦。着くまでにね、存分に誠一のムラムラを盛り上げておこうと思って」
 あはははと僕は笑った。
「やる気満々だね」
「うんっ」と、裕美子は頷くと、身を僕の方に少し寄せて、「ねえ、誠一」
「ああ?」
「ウチら、なかなか会えなかったじゃん」
「うん」
「わたしのコト、オカズにしてくれてた?」
 僕は危うくハンドルを切り損ないそうになる。
「ねえ、どーなのよー?」
 意地悪そうに目を甘く細め、僕の肩を叩きながら訊いてくる。
「ば、ばーか。大体、もしそうだとしてさ、ンなコト言われて嬉しいかぁ?」
「嬉しーよ。だって、わたしのコトで興奮してくれてるってコトでしょ?」
「そりゃそーだけど」
「あっ」
「なに?」
「やっぱわたしをオカズにしたんだ? いやーッ、不潔よー!」
 両手を交差させて胸を覆い隠すようにして、裕美子は身を揺すった。
「あのなあ‥‥」
 こうしたくだらないやり取りも久しぶりで、不思議に新鮮に思える。
「誠一‥‥」
「なんだよ‥‥」
「好きだよ」
「‥‥オレも好きだよ」
「‥‥‥‥」

 途中、サービスエリアに寄る。彼女がトイレに行っている間、僕は紙コップに入ったホットコーヒーを飲み、近くにそびえる山々をぼんやり見ていた。よく晴れているので、山々の木々がくっきり迫って見える。2時間も走ると、少し気温も低くなっていた。息がうっすらと白くなるが、日差しのせいでさほど寒くはない。澄んだ空気が肌に心地いい。

「ごめん、おまたせぇ」
 裕美子が、たたたっと小走りでやって来る。
「きゃあっ」
 途中でつまづいてこけそうになる。
 あはははと僕は車のフロントドアにもたれたまま笑った。
「ちょっと!」と、裕美子は声を上げる。
「こーゆー時は心配するもんでしょ、『大丈夫かっ?!』とか『怪我ないかっ?』とかさ。よりによって笑うかなあ」
「旅行に新品の靴なんか履いてくるからだよ」
「ぶ~」不機嫌な時の裕美子の口癖だ。

 僕は車を出し、また走り出す。
「裕美子さ、地図出してくれない?」
「どこどこ」
 裕美子はきょろきょろと見回す。「あ、これか」と、ドアポケットに入っているマップルを取り出して開く。でも、彼女は地図の見方が分からなかったので、目的のインターで降りてから僕が見る事にした。
 しかし裕美子はまだマップルを膝の上で開いたまま、睨めっこしている。眉間に皺を寄せ、はっきり言って、地図を見る眼ではない。世紀の大命題を解き明かそうとしている数学者のそれのようだ。
「もういいって」僕は言った。
「やだ。絶対探すっ、探してやるっ」
 唇を尖らせ、裕美子は意固地になっている。
 僕は呆れて、放ったらかすことにした。

 それからしばらく裕美子は視線をひたすら膝の上に落としていたが、不意に顔を上げ、「旅館の名前、なんて言うんだっけ?」
 僕は、今度は危うくブレーキとアクセルを踏み間違えるところだった。彼女は今、いったい何を探していたのだろう?
 微かな疲労感と共に、僕は口を開いた。
「‥‥菊屋だよ」
「きくや‥‥きくやきくや」
 再び裕美子は視線を落とす。

 20分後、目的のインターを降りた。閑散とした街並みは、どこか懐かしさを覚える風景だ。インターの傍にはうどん屋や定食屋がいくつか見受けられたが、やがて小さな民家が点在するだけの殺風景な車窓になる。
 側道に車を寄せ、地図を見ようと思っていたら、ひたすら地図を見ていた裕美子が「誠一‥‥‥‥」と、沈んだトーンで話し掛けてきた。
「んー?」
「気持ち悪い‥‥‥‥」
 見ると、裕美子は俯いたまま死相を浮かべている。白い頬が、さらに透けそうなほど白い。
「えっ?! うそだろっ?! もうダメ? 今ダメ?」
 僕はまくし立てるように訊いた。
「とりあえず‥‥車止めてくんない?」
 慌ててすぐ傍にあった喫茶店の駐車場に車を滑り込ませる。裕美子の調子が戻るまで、喫茶店で休む事にした。

 窓際の席を選び、僕はコーヒー、裕美子はアイスティーを頼んだ。
 客は僕らふたりだけ。こじんまりした店で、小さなカウンターとテーブルが3つばかり。有線だろうか、Misiaの「everything」が掛かっている。
「大丈夫かよ?」
「うー‥‥‥‥ごめんね」
 視線を小さく漂わせながら、裕美子は済まなさそうに言った。
「ま、いーよ、時間はいっぱいあるんだから」
 マスターらしい髭面のおじさんはコーヒーとアイスティーを持ってくると、カウンターの中に戻ってスポーツ新聞を広げた。
 コーヒーの香ばしい香りが漂う。しまった、匂いのしないものを頼めば良かったと、僕は後悔する。
「吐かなくても大丈夫?」
「うん‥‥」
 彼女はストローをグラスに刺し、すこしだけ紅茶を飲んだ。
「美味しい‥‥」
「ちょっとすっきりした?」
「うん、ちょっとすっきりした」
「良かった」
「うん」
 裕美子の顔に若干生気が甦ってくる。
 話を聞いていたのか、マスターが僕らのテーブルにやって来て、吐き気止めをふた粒くれた。
「ありがとうございます」
 裕美子は丁寧に頭を下げた。
「すみません」と、僕も感謝を述べる。
 マスターは無表情のまま軽く手を上げて応え、またスポーツ新聞を眺め始めた。
 僕は地図を開いて菊屋の場所を再確認し、30分ほど休憩したあと、僕らは店を出て再び車に乗り込み、目的の温泉旅館を目指した。

 裕美子にも笑顔が戻ってきた。こりごりとばかりに彼女はマップルを元あった場所に戻す。
「でね、ムカつくのよー、その主任さ、だからわたし、入れるお茶はいつもそいつの分だけ古いやつ使ってんだ」
 職場の鬱憤を晴らすような話が延々と続くあいだにも、車は山間を縫うように上っていく。
「あっ、今見えたよ」
「なにが?」
「温泉街」
「えっ、どこどこ?」
「もう見えなくなっちゃった。このカーブ曲がったら、また見えるよ」
 温泉街は広い谷に広がる、意外に大きなところだった。旅館の屋根が立ち並び、あちこちから白い湯気が立ち昇っている。
「誠一、ほら、見て見て、川に人が浸かってるよ、気持ち良さそー!」
 裕美子が声を上げる。

 温泉街の真ん中を小さな川が流れていて、その所々の水面からゆったりと湯気が広がっている。どうやら野湯になっているらしい。おばちゃんがふたり、顔だけ出して水面にくつろいでいる。
 車は街の奥へと分け入っていく。いくつもの旅館の前を通る。ホテルみたいに大きなところ、民宿のようなこじんまりしたところ。
 でも、今回泊まる事にしたのは、ちょっと、いいところだ。値段も、ポートピアホテルのエンペリアル・スイート一泊分よりは安いが、そこいらのホテルよりは遥かに値が張る。その秘密は、老舗という事もあるが、やはりその旅館の特殊性にある。ひとつひとつの部屋は一軒の庵のようになっているのだ。それぞれの軒に内風呂は勿論、露天風呂まであり、旅館の端には旅館全体で共同だが洞窟風呂もある。
 僕の懐は多少寂しくなったが、裕美子に半年間寂しい思いをさせたのだから、これぐらいなんでもなかった。

「ここまで来ると、流石にちょっと寒いね」
 裕美子がスタジャンの襟を合わせて言った。
 日もすっかり傾き、谷間にある温泉宿は山が作る大きな日陰に隠れていた。

 菊屋は山の中腹にあった。門構えは、古いという印象以外には特にどうといったものではない。硫黄の臭いがほのかに漂っているが不快ではなく、温泉に来た事を実感させてくれる。門をくぐり、林を抜けて建物に辿り着く。なかなか趣のある佇まいの、古い木造の建物だ。大きく葺いた屋根が風格を感じさせる。
「いらっしゃいませ」
 自動ドアを通ると、和服の若い女性がにこやかに出迎えてくれる。この旅館の若女将だそうで、加藤と名乗った。目鼻立ちのくっきりした和風美人だ。僕よりほんのちょっと年上だろうか。
 澄んだ良く通る声で「こちらへどうぞ」と、早速加藤さんが僕らを案内してくれた。
 加藤さんに続いて歩きながら、加藤さんのうなじから立ち昇る色香に目尻が緩む。
と、僕の手の甲がつねり上げられた。振り返ると、裕美子が顎を反らし上げるようにして僕を睨みつけていた。
 旅館のサンダルを履いて僕らは建物を出、再び林の中へ。丁寧に敷き詰められ、手入れが行き届いていた石畳を歩いていく。
 案内されたのは、この旅館の敷地の端にある庵だ。新築したのか、割と新しくて綺麗だ。
 加藤さんは建物の簡単なあらましを説明して帰っていった。

 八畳の和室が一間に六畳の洋間。内風呂は乳白色のタイル張りで、庭には露天風呂が(パンフレットほど豪華ではなかったが)あり、いつも暖かな湯気を立てている。
 もう旅館の人間も入って来ない。すでに布団は敷いてあり、食事は離れにある旅館共同の建物で食べる。ここは、明後日の朝まで僕らのものだ。
 僕は布団にごろんと寝転がった。安堵感と疲労感が胸の辺りに這い上がってくる。

「いーじゃん、いーじゃん」と、裕美子はかなり満悦して、はしゃぎながら襖を開けたり、トイレを覗いたり、外湯に手を浸けたりしている。
 ばたばた走り回っている裕美子に、聞こえよがしに僕は、「疲れたなー」と声を掛けてみる。
「わあっ! 誠一、こっち来てみなよ、ヘンなトラの置物があるよー、あはは、かわいー!」
「疲れたなあ!」
「ねえねえ、テレビ、タダだよ、タダ、ラッキー!」
「労って貰いたいなあ!」
「ああ! このシャンプーダメなのよねえ、やっぱスーパーマイルドじゃないとねえ」

 僕はゆっくりとまぶたを閉じた。じんと熱くなる。
 急に裕美子がしんとした。
と、いきなり裕美子が「えへへへっ」と、和室の隅で膝を抱えて丸くなってる僕を、後ろから抱きしめてきた。
「アリガトねえ」
 僕の背中越しに裕美子の豊かな胸の膨らみと温もりが、ぐにゅぐにゅと押し付けられる。髪から漂うシャンプーの匂いが僕を包む。否応なく僕の身体の一部が、疲労感をものともせず熱を帯びてきた。
「ここまで運転してきたし、疲れたでしょ?」
 裕美子は続ける。甘い息が耳たぶをくすぐる。
「だから、さ‥‥‥‥」
 彼女の華奢な手が回され、僕の腕をゆっくりとさすり回す。
 僕は堪えきれず、振り返りざま裕美子を押し倒した。
「いやあん、やめておくれぇ~」
 芝居がかった口調で裕美子が笑う。
「やめられまへんなあ~」
 僕もふざけた関西弁で応酬しながら、裕美子のセーターを捲り上げる。
 白いブラがのぞくと、ふたりの息遣いが少し密やかになる。時間の流れがゆっくりになる。
 不意に目が合ってしまう。
「さっきね」と、裕美子がうっとりと濡れた瞳で言った。
「癒してあげるって言ったでしょ?」
「うん」
「でも、逆に疲れちゃうかもね」
「え?」
 んふふっ、と裕美子は目を細めて笑い、唇を僕のそれに重ねてきた。甘い息と一緒に舌を絡ませ合い、唇を吸う。
「んっ‥‥‥‥ん‥‥‥‥」
 鼓動が高鳴ってくる。
 ぴちゅくちゅと唇同士が音を立て、お互いの息遣いも荒くなってくる。
 僕はそっと裕美子の胸に手を伸ばし、ブラ越しに張りのある膨らみをこね回し始める。
「んっ、んん‥‥っ」
 僕の背中に回された裕美子の手が這い回る。心なしか、いつもより指先に力を感じる。
 ひとしきり互いの唇を味わうと、「する?」と、裕美子がにっこりと訊いてくる。
「え‥‥ああ、うん」
 なんだか戸惑ってしまう僕を見て、裕美子はくくく、と含み笑いをしながら俯いてしまう。
「なに照れてんのよー、今更」
「いやあ、久しぶりだしさ、なんか、ね」
 そして僕は雰囲気を仕切りなおし、裕美子のブラを手繰り上げようとした‥‥そのとき。

――RRRR、RRRR‥‥‥‥

 びくッとして、僕は床の間に置いてあるピンクのプッシュホンを見た。
 無機質な音が鳴り響いている。
「電話‥‥」
 決まり悪そうに裕美子が言った。
 僕は未練がましい目で裕美子を見て、「こういうマンガみたいなことって、実際結構あるよな」
「あー、そだね‥‥」
「電話‥‥出るわ」
「うん‥‥」
 僕はのろのろと裕美子の上からどいて、膝歩きで電話の傍まで行く。
 白けた雰囲気がじんやりと部屋に降り積もる。
 受話器を取り、「はい‥‥‥‥あ、そですか、はーい」受話器を置く。
 見ると、裕美子は既にセーターをまた下ろし、裾をいじっている。
「メシ‥‥」僕は言う。
「メシ‥‥」裕美子も頷いた。

 最初に僕たちが入った大きな建物(本館というらしい)の隣に、食事のための離れが建っていた。僕たちが泊まる庵よりは大きいが、本館の隣だと、こじんまりした印象になる。この旅館に泊まる人は皆、この離れまで来て食事を摂る。面倒に思えるかもしれないが、旅館にとってはいちいち食事を運ぶ手間が省けるし、客にとっても、泊まっている部屋に他人が入ってくることはないのだから、食事のとき以外は、部屋で気兼ね無くくつろげるのだ。

 僕と裕美子は十畳ほどの和室に案内される。黒塗りの上等な膳がふたつ、部屋の中央で少し距離をあけて向かい合わせに並んでいる。膳の上には上等そうな塗りの茶碗が幾つか並び、小さな茶釜にはすでに火が点いていた。

「お腹すいたあ」と、膳を見るなり裕美子は声を上げる。
「お待たせして申し訳ありません」と、美人若女将・加藤さんが小さなえくぼと共に笑みをこぼして言う。藍色の着物がよく映えている。
「今日は、ここに泊まるのって、僕らふたりだけなんですか?」
 僕は訊いた。出ている膳がふたつだけだったからだ。
「ええ、平日ですし、お正月の頃は満室だったんですけれど」答えながら、加藤さんはおひつを開けて、炊き立ての白米を茶碗によそってくれる。

 裕美子は桐の模様の座布団に正座し、目を輝かせて膳に並ぶ茶碗の蓋をそっと開けてみたりしている。その隙間から白い湯気がふわりと漏れて、「わあ」と、裕美子は口許をほころばせた。
 ひと通り準備が終わると、加藤さんは「何かございましたら、お気軽にお呼び下さいませ」と、丁寧にお辞儀をして出て行った。
 僕と裕美子は向かい合わせになり、
「じゃあ、頂くか」と、改まって僕。
「うん」と頷いて、裕美子は手を合わせ、「頂きます」
 僕も手を合わせて、「頂きます」
 裕美子はすぐに箸には手をつけずに、そそっと僕の傍らに寄ってきて、
「おひとつどーぞ」と、ビールを勧める。
「あ、かたじけない」言いながら、僕はグラスを手に取った。
 褐色がグラスの中に心地よく弾けた。
 裕美子にも注いでやる。「かたじけない」裕美子が僕を真似して言った。
「「乾杯」」かちりと小気味いい音が部屋に響いた。

 食事は上手かった。
 ココだけの話、食事に関しては格安のコースを頼んであったのだ。宿泊だけで予算に足が出てしまい、裕美子には悪いと思ったのだが、仕方なかった。でも、なかなかどうして、新鮮な山菜はしこしこして歯ざわりがよく、綺麗な水で炊いた米は甘くて、煮物も味がほど良く染みていて、どれも満足した。裕美子も「美味しい!」を連発していた。
 食事の途中、僕は目の前でご飯をもぐもぐさせている裕美子を見て、自然と微笑んでしまう。
 僕の視線に気付き、「どしたの?」裕美子がきょとんとして僕を見遣る。
「いや、相変わらず姿勢いいなと思って」
 裕美子は姿勢がいい。これは、彼女が幼い頃から日本舞踊をやっているせいだろう。歩いていても、食べていても背筋をぴんと伸ばし、見ているだけでも気持ちいい。

 一度だけ、裕美子が踊っている姿を見たことがある。
「来なくていい‥‥っていうか、来ないで」と言う裕美子に内緒で、発表会を見に行ったのだ。舞台での彼女の凛とした立ち居振舞いは、普段ほわほわとした口調や仕草とのギャップが凄くて、僕は驚きを通り越して感動すら覚えてしまった。舞踊のことはよく分からないけど、その真剣な顔立ちや視線、淀みない自信に満ちた手足の動きが描く軌跡のひとつひとつが、ますます裕美子への想いを掻き立てた。
 裕美子にそのことを話すと、「ちっ、見られちまったかー」と、何気に嬉しそうに言っていた。

 裕美子は熱いお茶を少しすすると、「誠一も姿勢を良くして食べるとさ、もっと美味しいよ」
「ホント?」
「ホントだよ」
 試しにやってみた。あぐらのまま、痛くない程度に背筋を伸ばしてご飯を口にする。
「あっ、ホントだ」
 僕のリアクションに、裕美子はにっこりと笑う。
 それは気のせいだったかもしれない。でも裕美子に言われると、確かにこの方が美味しいかも、って思った。裕美子と感覚を共有できたような気がして、嬉しかった。
「やっぱさあ、好きなんだなあ‥‥」
 思わず呟いてしまう。
「うん?」
 裕美子が刺身を箸に取りつつ顔を上げた。
「裕美子のこと、好きなんだ、って」
「あ‥‥あはっ、何言ってんのー」
 突然面と向かって言われたからか、裕美子の端整な顔立ちが見る見る淡い朱に染まる。僕も急に気恥ずかしさが込み上げ、
「ああ、何言ってんのかなあ」と、僕も誤魔化すようにからからと笑った。
「ちょっと酔ってるかなあ」
 楽しかった。こっちに着いて間もないのに、来てよかったとしみじみ思った。

 食事を終えると、据え付けてあったインターホンで加藤さんに部屋に戻る旨を告げ、僕たちは部屋に戻って来た。
「とりあえず‥‥どうする?」
 僕は訊いてみた。エッチのタイミングを逸した僕は、そのきっかけを再び探ろうとしていたのだが、返ってきた裕美子の返事は「お風呂っ!」だった。
 悟られないように密かにがっかりしてテレビのスイッチを入れ、「お先にどーぞ」と、背中で努めて明るく言う。
「なんで? 一緒に入ろーよ」
 裕美子が、まるでそうするのが当たり前のように僕に言った。

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