2.
大嫌いな遥。
悪魔の申し子のような遥。
なのに、あたしは自分でそれと気づかないままに、遥の真似をしていた。彼女の《毒》に冒されてしまったみたいに。
遥に異常なことをされた翌日、あたしはサッカー部の練習を見にいった。友達も連れずに一人だった。タンクトップに腿ぎりぎりのミニスカート。素足にミュールを履いた。普段はこんな格好は絶対にしない。お母さんが怒るし、第一、大人しいあたしには大胆すぎるから。
フィールドの隅からは、サッカー部の練習がよく見える。
あたしは肩まで伸びた髪を風になぶらせながら、両手を後ろで組み、桜の木にもたれて、楢崎先輩を見つめていた。
今日も、四、五人の女の子が来ている。その子たちは、タオルや手作りのお菓子やスポーツドリンクを手に持って、隙あらば楢崎先輩に話し掛けるチャンスを狙っている。中には、かなり可愛い顔の女の子もいる。
あたしは手ぶらだ。
ぼんやり興なさげを装って、その実、楢崎先輩だけを見つめている。サッカー部のなかでは背の高いほうじゃないけど、均整のとれたしなやかな体つきをしている。やんちゃ坊主の顔。陽にさらされてチャパツっぽくなった髪が、汗で額にはりついている。誰よりも脚が速い。誰よりもパスワークが上手い。笑った顔は、三つの子供みたいにあどけない。試合の時、ミスをした選手を「気にすんなよ!」って笑って、真っ先に肩を叩くのはいつも楢崎先輩。「彼女に悪いから、ごめんな」って、女の子からのプレゼントは絶対に受け取らない。
大好き。
見ているだけで、胸がこんなに苦しい。
でも、楢崎先輩は、きっとあたしの事なんて好きになってくれない。彼の好みは、頭が良くてスポーツが万能でハキハキした女の子。二年三組の吉岡奈美って人と付き合っている。男の子みたいに髪が短くて、すらっと背の高い陸上部のホープは、汗の匂いすらも涼やかだと思わせるような人だ。成績は楢崎先輩と同じくらい良く、いつも学年で十番以内に入っている。男の子にも女の子にも絶大な人望がある。楢崎先輩が選ぶのは、そういう人なのだ。顔がちょっと可愛いだけで、他にはなんのとりえもない、あたしみたいな女の子じゃない。
それでも好き。一瞬でもいいから、振り向いてもらいたい。
――振り向いてもらえないなら、体だけでもいい。
なんてことを考えるんだろう。こんなの、普通じゃない。あたし、頭がおかしくなっている。遥のせいだ。遥があんなことをするから、あたしは魔物に取りつかれてしまったのだ。
昨日、遥はあたしに言った。
「見ただろ? 男なんてな、絶対に断わらない。100%乗ってくる。ああいうもんなんだよ。あいつさあ、ちゃんと彼女いるんだぜ。他校の女だから、あんまり知られてないけどな。なのにあのザマだもんな。楢崎だって例外じゃない」
あの恥ずかしい痴態が嘘みたいに、遥はせせら笑っていた。国坂先輩がぼうっとした顔で帰っていった後、遥はすっかりいつもの彼女に戻っていた。
一回だけでいい。楢崎先輩が、あたしをあんな風に抱いてくれるなら、あたしはもうそれだけでいい。そんな事を考えてるいやらしい自分が情けなくて、涙がぽっちりと出てきた。
誰かがミスしたボールがころころと転がって、あたしの足元に来た。
「悪い、投げてくれよ!」
叫んだのは、楢崎先輩だ。
心臓がドキンと音をたてた。でもあたしは肩をすくめて、ボールを拾い、自分の足元に置く。運動音痴のあたしが、うまく蹴ることができるだろうか。ミニスカートを気にもせずに、あたしはボールを蹴り上げた。パンツが見えたってかまやしない。奇跡が起こったのか、ボールは綺麗なアーチを描いて、楢崎先輩の胸元にぽん、とおさまった。
あたしはニヤッと笑った。
楢崎先輩も、他の部員たちも、一斉にあたしを見た。楢崎先輩の表情に、何かが横切った。強いて言えば、好奇心の芽のようなものが。
あたしは素知らぬ顔に立ち戻り、またぼんやりと練習を見つめ出した。小一時間ほどをそこで過ごして、家に戻った。
それを三日間繰りかえした。
四日目に、楢崎先輩が声をかけてきた。練習の休憩時間に、スポーツドリンクを飲みながら、ファンの女の子たちを素通りして、あたしの目の前にやってきたのだ。
「ねえ、君って、一年生だったっけ、確か‥‥」
「うん」
ハイ、と敬語を使うかわりに、あたしは無造作に頷いた。
「サッカー好きなの?」
「ううん」
ドキドキしているのをおくびにも出さずに、微笑んでいる自分が空恐ろしい。
「サッカーをしているあなたを見ているのが、好きなの」
「え‥‥」
「一生懸命で可愛いから」
信じられない。楢崎先輩に向かって、こんな生意気な事を言っているのは、本当に磯村るりなのだろうか。からかうような微笑みまで、頬に浮かべて。
楢崎先輩は、どういう反応をしていいのかわからないみたいだった。
「えとさ‥‥あの、なんて名前だっけ?」
あたしにそう聞いた。天にも昇るような心地だ。いつものあたしなら、ころつまろびつの舌で、やっと自分の名前を言えるか言えないかってところなのに、何か魔性が宿ったとしか思えない――あたしはいたずらっぽく小首を傾げて、こう言った。
「知りたい?」
「え?‥‥あ、うん」
あたしは人さし指をくいくいって曲げて、楢崎先輩に近づくように示した。吸い寄せられるように、彼はあたしに耳を差し出す。
「女の子の名前が知りたければ、自分で調べなさい、おバカさん」
囁いてから、優しく先輩の頬にキスをした。ぽかんと先輩の唇が開いた。あたしはクスクス笑うと、くるりと後ろを向いて歩き出した。手足がガクガク震えているのが、どうか先輩にわかりませんように、と必死に祈りながら。
あたしは《芝居》の日から、ずっと家にいた。両手を握り締めながら、部屋のなかをうろうろ歩き、奇跡が起こるのを神様に祈り続けていた。
楢崎先輩があたしの家に来たのは、四日後の日曜日だった。
二階のあたしの部屋の窓から、小路に立っている彼を発見した。制服姿だ。困ったように両手をズボンのポケットをつっこんで、家の前をうろうろしている。
心臓が爆発しそうに打ち始めた。
「嘘でしょ、嘘、嘘、嘘ぉ‥‥」
遥がこれを聞いたら、ボキャブラリーがどうのこうのと、また嘲るのに違いない。
成功したのだ。あたしの精一杯の誘惑が効を奏したのだ。嬉しくて、今すぐ駆けていきたかったけど、あたしはそうしなかった。
彼にチャイムを鳴らさせるのだ。あたしが飛んでいってはだめだ。そう自分に言い聞かせながらも、激しい焦躁があたしの手のひらに汗をべっとり掻かせていた。
彼はチャイムを鳴らした。お母さんが応対した。
「るりですか? ええ、いますよ。ちょっと待ってね」
あたしは自室の横にある浴室に飛び込んだ(あたしの家には一階と二階の両方に浴室があるのだ)。服を乱暴に脱ぎ捨て、シャワーのコックをひねる。
「るりー! お客様よー」
あたしは聞こえないフリをした。水しぶきで髪を濡らし、ボディーシャンプーを身体中に塗りたくった。夏とはいえ、水を浴びると全身に鳥肌が立つ。
「るりってば! お客様! お友達が来たわよ」
今やっと聞こえたかのように、あたしは浴室のドアを開ける。
「ちょっと待って。シャワー浴びてるの。すぐ出るから!」
十五分後、あたしは濡れた髪のままで、応接間に通された楢崎先輩の目の前に立った。先輩の目が眩しそうに、あたしの顔を見つめる。あたしはノーブラだ。急いでTシャツとショートパンツを着たので、ところどころ濡れている。
「お母さん、ちょっと外に出てくるね。すぐ戻るから」
なんだか不審そうにあたしと先輩を見つめているお母さんに声をかけ、「いこ」と先輩を促した。
「あ‥‥うん、じゃどうもお邪魔しました」
あたし達は外に出た。夏の夕暮れに、カナカナカナ‥‥と蝉が鳴いている。濡れた髪が、あたしの首筋や肩に幾つもの雫を垂らしている。
草がぼうぼうに生えた空き地の前まで来ると、あたしはくるっと振り返り、先輩の目の前に立って彼の歩みをさまたげた。胸と胸がちょっとぶつかったけど、あたしはひるまなかった。
「まさか来るなんて、思わなかった」
笑って先輩の目を見上げる。155センチしかないあたしより20センチも背が高い。
「磯村るり。一年四組」
彼は、まっすぐな眼差しであたしを見つめ返した。あたしの笑顔に、チラリとも笑みを返そうとしない。唇を尖らせて、ぶすっとした顔をしている。何だか怖い。
「‥‥おれとデートする気、ある?」
「え?」
「磯村るりと一緒に遊びたくなった。それを言いに来た」
あたしの心臓がダイナマイトで爆破された。
世界がグルリと逆転したみたい。これは夢だ。絶対に本当のことじゃない。
「イヤって言ったら、どうする?」
あたしは目をくるっと動かして先輩の顔を覗き込んだ。本当は嬉しくてしゃがみこんでしまいそうなのに。
「あきらめる」
「ふうん‥‥なあんだ、そんな簡単なんだ。ガッカリだな」
あたしは笑った。先輩は、ちょっと苛々したような顔になった。
「それさ、イエスなの? ノーなの?」
「プールに行きたいな」
「え?」
「いいよ。一緒に遊ぼ。あたしをプールに連れてって」
※
サッカー部の練習がお休みのその日、あたしたちは遊園地のプールにいた。
あたしは母親にせがみまくって買ってもらった、新しいビキニを着ていた。遥みたいにスーパーナイスバディーじゃないけど、きっとあたしだってそれなりには見られる。
あたしはうまく泳げないから、先輩の手に掴まってバタ足だ。
切ないほど楽しくて、あたしはけらけらと笑った。このデートが終ったら、もう死んでもいい。それくらい幸福だった。笑い過ぎて水にむせて咳き込んだあたしの背中を、「バカだなー」と言いながら楢崎先輩は撫でてくれた。プールの水深は150センチ。あたしはあっぷあっぷして、先輩のがっちりした肩にしがみつく。支えようとした先輩の手がすべって、あたしの胸に触れた。
「きゃん、エッチ!」
「うわ、ごめん」
こっちがびっくりするほど真面目に、先輩は謝った。
「なんか、意外だな‥‥」
ビニールシートを敷いたプールサイドに並んで座りながら、先輩はつぶやいた。
「こんなにはしゃぐ女の子見たのひさびさ。なんか子供みてー」
あたしがはしゃぐのは、あなたと一緒にいられて、太陽の光みたいに幸せだから。
「うそ。いつも彼女と楽しくやってるんでしょ。このウワキ者ぉ」
あたしはからかうように笑って、先輩の額を指で弾いた。
「いや‥‥あいつはさ、なんか大人だから。おれよりずっと」
先輩は苦そうに笑った。あたしは答えずに、シートの上に仰向けに横たわった。太陽が気持ちいい。ひたすら暑い真夏がこんなに大好きだなんて、生まれて初めて感じたかもしれない。
にこにこ笑っているあたしを、先輩が見つめている。あたしのからだにさっと目を走らせて、照れたように視線をそらして微笑んだ。
「マジ、ちょー楽しそうだな、お前は」
「だって、プールひさしぶりなんだもん。ウチの学校プールないし」
「カナヅチのくせに、よくいうよ」
「ふふ。ねえ、あたしも意外だったよ」
「何が?」
「サッカーしてない時の楢崎くんも、カッコいいから」
「磯村るりはサイコーにカッコ悪かった」
笑ってあたしの頭を小突いた。心臓がきゅっと掴まれた。
どうしちゃったの? 先輩。
どうして、ロクに知りもしないあたしのこと、そんな優しい目で見るの?
誤解しちゃうじゃない。先輩はあたしにすごく惹かれてるんじゃないかって。
プールの後、マクドナルドで遅い昼ごはんを食べて、ぶらぶら歩いていると、楢崎先輩は言った。
「ねえ‥‥良ければさ、おれんちにこない? すぐそこなんだけど」
「え?」
「あ、親とかいないんだけど。おれ、半分一人暮しみたいなモンだから」
それは知っていた。楢崎先輩の両親は盛岡にいるのだ。銀行マンのお父さんは去年盛岡に転勤し、お母さんは東京と盛岡を行ったり来たりの生活をしている‥‥ことくらいは、もう調べてある。
「やーらしいことしないなら、いいよ?」
「なんだよー、やーらしいことなんてしてないだろ」
「だってさっき、触ったじゃない、あたしのここに」
あたしは膨れ面をして、自分の胸をつんつん、と突ついた。
「あれは事故だってば」
「ふうーん?」
「しないよ」
楢崎先輩は、ちょっと恥ずかしそうに唇をとがらせた。
「しない。やらしいことなんて」
あたしには女優の素質でもあるんだろうか。
離れたところから、胸をドキドキさせて彼を見つめていたあたしと、今、先輩の部屋にいて涼しい顔で音楽を聴いているあたしは、本当に同一人物なんだろうか。
きっと先輩にはわからない。あたしがどれだけ先輩の肌に触れたいか、なんてことは。
先輩はあたしにキスしたがっている。
ブルーのチェックのベッドに寄り掛かって床に座りながら、幾度もそんな素振りを見せる。そのたびにスルリと身をかわして、あたしは笑う。誰に教えてもらったわけでもないのに、男の人の焦らし方をあたしは知っている。遥が、国坂先輩に見せつけるように、わざとゆっくり服を脱いでいったみたいに。
でも、五回か六回も焦らされて苛々した楢崎先輩が、とうとうあたしの両腕をガシッと掴んでベッドに背を押しつけたから、ドキドキして失神しそうになった。顎の尖ったちょっと細身の顔だち。前髪がサラサラと額の上で揺れている。唇の形も男っぽい。彼ってなんて素敵な男の子なんだろう。
「るり、おれキスしたいよ」
るり、なんて呼ばれて、あたしのからだがグニャッとなる。
「男の子は‥‥」
あたしは囁く。
「キスだけじゃ、すまないからダメ‥‥」
「キスだけだよ」
「イヤ‥‥」
ぷいっと横をむいたあたしの顎を乱暴に掴んで、先輩の唇が、すぐにあたしのそれを覆った。
「んっ」
あたしのからだは棒杭みたいに硬くなる。生まれて初めてのキス。大好きな人とのキス。あたたかい橙色の日ざしが胸の中に流れ込んでくるみたいだった。楢崎先輩があたしのことを好きなら、もっといいのに。
舌が入ってきた。ディープキスだ。唇って粘膜なんだ、って思った。チュル‥‥チュッ、クチュって、いやらしい音がする。
楢崎先輩はあたしを強い力で抱きすくめた。しなやかな筋肉のついた腕に抱かれて、胸と胸が密着する。あたしの頭のなかが空白になった。
「ん‥‥だめ‥‥」
あたしは、もう濡れはじめていた。好きな人だから、あたしはこんなに切なく濡れるんだ。
「るり‥‥震えてる‥‥」
ハッとして、彼の顔を見つめる。
そう、あたしは濡れた小犬みたいに震えていた。涙まで滲んでいる。なのに、指摘されるまでそれに気が付かなかった。
「なあ‥‥ひょっとして、こういうのはじめて?」
いきなり確信をつかれて、あたしはカッと赤くなった。うんとも違うとも答えていないのに、それだけで先輩にはわかったみたい。
「ごめん」
先輩は謝って、腕の力をゆるめた。
「おれ‥‥その、もっと遊んでるコなのかと思っちゃって‥‥だって、そういう風に振る舞ってただろ?」
大いに困ったようなその顔を見たとたん、あたしの《芝居》が崩れた。
「バカ‥‥嫌い‥‥っ」
あたしは先輩を押しのけて立ち上がった。バッグを掴んで、バタンと玄関のドアを開けて外に飛び出した。《芝居》を見破られたことが恥ずかしくて、死んでしまいたかった。
あたしにはできない。
遥みたいなこと、あたしにできるはずなんてなかった。
遥は悪魔だから、あんなことができるんだ。あたしには無理だ。処女のくせに、「体だけでもいい」なんて、思い上がりもいいとこだ。
全力疾走しながら、胸が苦しくて、笑えて、涙がとまらなかった。
家に帰ると、驚いたことに、遥があたしのベッドに寝そべっていた。お母さんが勝手にあげたらしい。あたしは呆然と立ち尽くした。
「な、なにやってんのよ」
あたしの少女マンガを読みながら、遥はでっかいあくびをした。
「別に。ヒマだからさ。しかしつまんねーマンガだなこれ‥‥エッチな場面にロマンチックな背景つけやがって、ばっかみてー。セックスってのは濡らして立ててなんぼのもんなんだよ。こりゃお前と同じだな。アホまるだし」
「出てってよ! 帰ってよっ」
あたしはヒステリックに遥の腕を引っ張った。
「ををっとお。暴力はんたーい」
遥はあたしの手を振り払い、逆にあたしを押し倒した。あたしの両手首を掴んでベッドに押し付けながら、目を細めて意地悪に笑った。細いのにものすごい力だ。あたしの脳を読み取ろうとするように、じっとあたしを見つめている。
「離してよっ、痛い!」
「ははん‥‥楢崎だな。お前、逃げてきたんだろ?」
あたしは顔をそむけた。遥には何も隠せない。この女には、いつだって何でもわかってしまうのだから。
「まだやってないな。ザーメンの匂いがしねーもん。ったく、だらしねーなお前も」
「あたしは遥と違う! そんなことしないもん!」
「そーゆーのアトひきテクっていうんだぜ。楢崎、今頃モンモンとしてんだろうな。ああ、モンモンとしてんのは、お前も同じか」
「離してったら!」
遥を睨みつけるあたしの目から、涙が流れ落ちる。
「あたしが慰めてやりてーとこだけど、女を触る趣味はないからな。そのかわりいいこと教えてやろうか」
くっくっと喉で笑っている。
「楢崎はお前を追いかけるぜ。あたしにはわかる。お前がどんな女なのか知りたくて、うずうずしてるはずだ。純真無垢な処女なのか、それとも淫乱なのかってな。でもお前はその両方だ。そうだろ?」
「違うっ、あたしは‥‥」
「いいか? 一度しか言わないから良く聞けよ。二週間じらせ。電話があっても取るな。会いに来ても応対するな。お前があいつに処女膜を破られるのは、そのあとだ。誘われてヤルんじゃなくて、自分から誘え。体が目当てみたいなフリして、あたしみたいに誘うんだ。当然、処女だってバレる。終ったあとでベタベタすんなよ。涙のひとつも流して、気にしないで、とかなんとか言ってすぐに帰るんだ。あいつは淫乱処女のお前に狂って奈美を捨てる。保証するぜ」
心から楽しんでいる口調だった。
こんなヤツの言うことなんて誰が聞くものか。こんな女にはわからない。あたしが今日のデートで、胸が張り裂けるくらいに幸福だったことなんか、絶対に、絶対にわからないのだ。
※
‥‥それでもあたしは悪魔の忠告に従った。
楢崎先輩から、何度も電話があった。二日に一度は、あたしの家に来た。でもあたしは居留守をつかい、耳を手でふさいだ。食事が喉を通らず、二週間で三キロも痩せた。
「ちょっとは外出しないと、モヤシになっちゃうわよ!」
お母さんは部屋でぐだぐだしているあたしを怒った。二週間、あたしは堪えに堪えた。夏休みは、あと一週間で終りを告げようとしていた。
十五日目、あたしはロクに食べてないせいでフラフラする体を引きずるように外に出て、サッカーの練習を見に行った。楢崎先輩の顔が見たくて、気が狂いそうだった。昇降口の階段にひそんで、物陰からそっと彼を見つめた。
楢崎先輩は、相変わらず元気にフィールドを駆け回っている。
胸がキリキリと痛むほどカッコよかった。
でも、先輩のプレーはいつもよりミスが目立つ感じで、とんでもない方向にボールを蹴ったりしている。休憩時間になると、浮かない顔で、ファンの女の子達に取り巻かれていた。
彼があたしに気づいたのは、練習も終りかけた頃だ。あたしは物陰から出て、女の子達から少し離れた場所に立って、彼の視線があたしをとらえるのを待った。
切れ長の涼し気な目に、歓喜と不安が同時に浮かぶのを、あたしは見てとった。真っ白に列んだ歯があらわれ、すぐに唇のなかにしまいこまれた。まるで、笑顔を見せたことを恥だと感じているみたいに、ふいっと目をそらした。
一週間前にミカって友達から電話があった。吉岡奈美と同じ陸上部にいるそのおしゃべりな友達は、「どっか遊びにいこーよ」と誘ったあとで、陸上部のゴシップを話し始めた。
最近さあ、吉岡先輩変なんだよね。なんかすっごいイライラしちゃって。噂じゃさあ、楢崎先輩がなんか冷たいんだって。前はあの二人、よくマックとかでデートしてたじゃん? それもここ数日見ないしねー。ケンカでもしたのかなあ‥‥。あ、そうそう、そういえばこないださあ、あんたん家の隣の二年生見かけたよー。知ってるう? あの人さあ、ちょー遊び人って評判のくせして‥‥。
あたしのせい?
男の人って、そういうものなの?
他に気になる女の子ができたら、あんな素敵な人をポイできちゃうの?
嬉しいくせに、あたしはそんな風にこだわっていた。それでも、彼に会いたかった。もっと色んな話をしたい。一緒に笑いたい。あのプールの日みたいに。
楢崎先輩は、でも、あたしを無視した。練習が終っても、あたしに声をかけなかった。二週間無視された仕返しなのかもしれない。いったん部室に引っ込んで制服に着替え終った彼は、他の部員たちと一緒に、校門の外に出てしまった。
あたしはへなへなとフィールドの隅っこの桜の木の下に腰を降ろして、ぼうっとしていた。
失敗だ。遥の言うことなんか、聞かなきゃよかった。あたしは嫌われてしまったのだ‥‥。
悲しすぎて、涙すらもでなかった。
けど、あたしは間違っていた。
夕闇が消え、暗い空に月が白く輝き出した。あたしはまだ立ち上がれずに、あかるい月を見ていた。蒸し暑い夏の夜。でも、時おりすうっと頬を撫でる夜風のなかには、もう秋の匂いが混じっている。忍び足で九月がやってくる。
誰かがあたしの目の前に立った。プーマの汚いスニーカー。あたしはうろうろと目をあげた。もう、それが誰だかわかっていた。
「何‥‥やってんだよ、こんなとこで」
彼の声は掠れていた。
「なんにも」
あたしは泣きそうになりながら、微笑んだ。
「夜の風が気持ちいいなあって、思ってた」
楢崎先輩は、ぎくしゃくした動作で、あたしの横に腰かけた。
「夜の風、ねえ‥‥」
あたしは口を閉じ、楢崎先輩も黙っていた。校門の外を車が何台も通り過ぎ、ヘッドライトが一瞬光っては、すぐに消えた。
「お前って変なヤツだな」
「え?」
「変なヤツだよ。可愛くて、生意気でさ‥‥人のこと、スゲー振り回すし、ムカつく」
楢崎先輩の唇が、磯村るりについてのコメントを語っている。三週間前のあたしには、こんなシーンは露ほども想像できなかった。
あたしは楢崎先輩の前に跪いた。汗臭い首を抱えると、彼の唇にキスをした。大丈夫。今はあたし、震えてない。
「ホントに変なヤツ‥‥」
困ったような笑いを漏らして、彼はキスを返してきた。あたしの背中に先輩の腕が回る。
すごく上手。
キスするのは、人生でこれが二回目だけど、彼がとっても上手だってことはわかる。
ねえ触って、とあたしは囁いた。まるでアメリカ映画に出てくる、大人の女の人みたいな色っぽい声で。
誰もいない校庭の隅で、楢崎先輩はあたしの胸に触れた。最初はTシャツの上から。そしてブラを外し、直接肌に触れて、あたしのやわらかな満月を揉んだ。
「ぁ‥‥んん‥‥あん‥‥」
あたしはびっくりするほど甘く可愛らしい声を出す。楢崎先輩に触られていることがすごく切なくて、やっぱり涙が出る。
「もっと‥‥触って」
あたしは木の下に倒された。木の根っこが腰のへんにあたって、ごつごつした。Tシャツを脱がされて、熱い唇で乳首を吸われた。
「あぁん‥‥あっ‥‥」
あたしは彼の頭を腕に抱え、肩甲骨の尖った背中を撫でる。
スカートの中に手がもぐり込んできた。あたしのアソコを、手のひらを全部つかって、先輩は撫で上げる。もう彼の息は荒い。
「だめ‥‥だ。こんなとこじゃ‥‥他のとこに行こう」
「嫌。ここでして。ここがいいの」
「だって、人が来るだろ‥‥」
「来ない。見てるのは、お月さまだけ」
あたしは立ち上がってパンティーを降ろした。彼の目の前でゆっくりと脱いで、そのへんに放り投げると、楢崎くんの前に膝をつき、制服のズボンのジッパーを降ろした。
「お、おい‥‥なあ、ちょっと」
遥は、これをどうやったんだろう。
恐る恐る取り出した楢崎くんのペニスは、ちょっと粘ついて、もう硬くなっている。遥はこれを口にくわえて、どうにかしていた。どうすればここが気持ちよくなるのか、あたしは知らない。
「ねえ、教えて‥‥あなたを気持ちよくさせてあげたい‥‥でも、でもね‥‥あたし、やりかたがわからないの。だから‥‥教えて?」
あたしは上目で彼を見つめた。何も知らない自分が情けなくて、滲んでいた涙が溢れてしまった。
「いいよ、そんなことしなくて、いいんだ」
彼はいきなりあたしを抱きすくめた。あたしの手から彼のペニスが離れた。
「おれがるりを気持ちよくさせてあげるから‥‥おれは、そのほうが嬉しいんだよ」
彼は、見ているあたしの胸が締め付けられるような悲しい顔をして、再びあたしにキスをした。あたしはアイスキャンディーみたいに溶けちゃいそうだった。あたしの奥深いところを、彼の指が這う。
「きゃうっ」
あたしはいきなり蹴られた子犬みたいな声を出す。
「るり‥‥可愛いな。すっごく可愛い声だ。おれ、頭がおかしくなりそうだった‥‥ずっとお前のこと考えてて‥‥」
そう言いながら、指の腹であたしの割れ目をなぞり続ける。体の奥から、新たな熱い蜜が迸るのが、自分でもはっきりとわかる。
「やだ‥‥あん‥‥気持ちいいよ‥‥でも‥‥恥ずかしい‥‥」
また、倒された。
あたしの胸にチュッ、チュッて何度もキスしながら、長い指はあたしの粘膜の上で、中で、すべらかに踊り続ける。
「あ‥‥あたし、こうしたかった。楢崎くんに、こうして‥‥もらいたかったの」
「おれもだよ。るりを自分のものにしたかった」
この瞬間が幻でもいい。もし明日、何食わぬ顔で彼に無視されても、変なインラン女とやっちゃったって後悔されても、今この時があれば、あたしは他に何もいらない。
「はあ‥‥あん‥‥ぅあ‥‥んンッ」
クリトリスをいじくられると、あたしは完全に惑乱した。からだが勝手に震え出す。
「あんっ! ィ、イヤ‥‥」
クチュ、クチュン‥‥。
きっとアソコはもうトロトロになっている。楢崎くんは、小刻みにクリトリスを責め続けた。
「ここ‥‥感じるんだね‥‥」
あたしはイヤイヤをする子供みたいに、左右に首を振る。
「んあっ‥‥はあんっ、だめ、楢崎くん、そこ‥‥ン、ン、だめえ‥‥」
楢崎先輩はあたしの耳を齧った。ビクンッて魚みたいにからだが震える。
「ぁんっ!」
「可愛い‥‥」
あたしの耳に囁き、中に舌をいれた。すごく感じる。ゾクゾクする。
胸を揉まれ、恥ずかしいところを責められ続ける。急速に、高波がやってきた。
「やだ、いっちゃう‥‥あたし、何かヘン‥‥怖い、ン、ぁん‥‥あたし、いっちゃうよ‥‥ああっ!!」
あたしは先輩の指で絶頂に達した。
自分でするよりも、国坂先輩にしてもらった時よりも、ずっと凄かった。脳が溶けたバターになったみたい。からだ中が熱く、ドクドク脈打っている。
「るり‥‥もう我慢できない‥‥入れるよ、いいね」
先輩はあたしの両足を大きく開いて、持ち上げた。
「キャッ‥‥!」
あまりの恥ずかしさに目をつぶる。遥もこんな恥ずかしい格好をさせられていた。アソコが大きく裂けて、すごくいやらしい眺めだった。それを思い出すと股間がどうしようもなく熱くなる。
先輩のペニスがあたしの股間に押し当てられた。
次の瞬間、突き刺さるような激痛が走った。
「あっ‥‥あ、あ、あ」
痛い。予想してたより、ずっと痛い。でも、入っている。先輩のものが、あたしの狭い道のなかに、少しずつ入ってきている。あたしたちは繋がっている。
「るり、はじめて、なんだろ? 我慢できないくらい痛かったら、言って」
「だ、だいじょうぶ‥‥平気、だ、から」
でもあたしの背中は、鉄板みたいに硬くなっていた。キリキリと侵入してくるそれを、あたしの体は本能的に押し返そうとしている。でも、先輩のほうが強い。固いものがどんどん奥まで入ってくる。男の人のからだが、あたしの内部を一杯に埋め尽している。
先輩が動き始めると、あたしは我慢できずに、泣いてしまった。嬉しいのと、気絶しそうなほど痛いのとで。
「大丈夫か? るり、やめようか?」
「大丈夫‥‥だから、もっと激しくして‥‥」
「嘘つけ‥‥こんなに泣いてるくせに、ほんとにもう‥‥どういう子だよ」
楢崎先輩は、土に押し付けられたあたしの後頭部をかばうように、腕をその下にいれた。
「嘘じゃない、嘘じゃないもん‥‥あなたに、気持ちよくなって、欲しいんだもん‥‥」
あの国坂先輩がしたような、男の顔をあたしに見せて。あたしのなかで溺れて欲しい。あたしは、一心にそう願っていた。
あなたが大好き。
ずっと好きだった。四月にはじめてサッカーの練習試合を見たときから。
あたしは、あんなに楽しそうにボールを蹴る人を見たことがなかった。子どもみたいにボールを追い掛けて、その癖、フィールドを駆け抜けるあなたは、誰よりもかろやかで、誰よりも卓越したプレー技術を持っていた。サッカーには真面目で、友達みんなに好かれて、でも女の子にはちょっと冷たくて。
なのに今のあなたは、こんなに優しい。自分の快感よりも、あたしのからだを優先してくれている。
先輩は激しくしなかった。
ゆっくり、ゆっくり動いて、あたしをほぐしてくれた。それでも痛い。遥みたいに、気持ちいいって、とてもじゃないけど叫べない。
だけど、あたしは幸せだった。
悪魔の遥が予言したように、彼があたしに「夢中」にならなくたっていい。あたしの髪を撫でる先輩の手は、心が溶けそうなくらいに、優しいから。
先輩は足を震わせているあたしを支えながら、自転車置き場に向かった。
「大丈夫か?」
あたしは頷いた。
「平気だから、そんなに気にしないで」
あたしは出血していた。ほんのぽっちりパンティーに血がつく程度だと思ってたのに、まるで小規模の生理みたいだった。
先輩は終った後で、あたしの股間に触ってそれを確かめると、自分の股間が痛んでいるような顔になった。ティッシュであたしの血を拭いてくれて、
「ごめんな、痛い思いさせて‥‥」
そうつぶやき、あたしを抱き締めて背中をさすった。
「楢崎くんは、気持ちよくなかった?」
あたしは息も絶え絶えになりながらも、そう聞いた。
「気持ちよかったよ‥‥だから、射精したんだろ」
「なら、良かった。あたし、それで嬉しい」
「ばかだなあ、ほんとに」
あたしの髪をくしゃくしゃに撫でた。
「自転車の後ろに乗れるか? ちょっとガタガタすると思うけど‥‥歩いて帰るよりいいだろ」
「平気だってば‥‥」
微笑むあたしの強がりを見すかしたように、先輩はあたしに短いキスをした。
あたしを家の前まで送り届けると、別れ際に先輩は恥ずかしそうに言った。
「あのさ、おれと‥‥付き合わないか?」
「えっ?」
「おれたち、うまくいくよ。きっとうまくいく‥‥おれ、るりが好きだ。すごく、好きになった」
あたしは首を横に振った。
「だって‥‥だって楢崎くん、つきあってる人いるじゃない」
「別れた。四日前に」
「え‥‥」
「おれ、るりのことしか考えられなくなってた。なんでお前みたいな変なヤツって思ってるのに、すごく可愛く見えてさ。‥‥そして今日、もっと好きになった」
「‥‥‥‥」
「彼女には、すごく‥‥悪いことしたと思う。でも、とめられないよ、もう、自分でもどうしようもないんだ」
先輩の顔がくしゃっと歪んで、泣き笑いになった。
我慢なんかできなかった。
あたしはわっと泣き出して、先輩の胸にしがみついた。
部屋に戻ると、ベッドの上に何かカードのようなものが置かれていた。あたしは夢見心地のままそれを取り上げると、二つ折りのそれを開いた。
「祝・ロストバージン。楢崎をメロメロにさせやがったな。けど、あいつ結構いい男だから、油断してるとあたしが食っちゃうぜ。お前なんかバカだから、横取りするのは簡単だ」
あたしはくすっと笑った。
超能力を持った、あたしの意地悪な隣人。
でもね、あたしだって知ってんだよ。遥のこと、いろいろとね。
「Hなシーンにロマンチックな背景つけて、ばっかみてー」
そう言ってたよね。
「あたしが、男みたいな下等な生物に恋なんかすると思うか?」
ちょっと前に、偉そうにそう言ってたのも憶えている。
でも、あたしの友達のミカが見たんだよ。国坂先輩と遥が、手をつないで歩いてるとこ。国坂先輩は遥に夢中になっちゃったんだよね。でも、それは遥も同じだったんじゃない? 二人とも、とくに遥はちょー遊び人って評判のくせに、まるで初めてデートする中学生みたいに、コチコチで可笑しかったって、ミカは言ってた。遥はセックスはするくせに、普通のデートをしたことがなかったんだね。ね、そうなんでしょう?
そう返事を書いて、遥の留守中に部屋に忍び込んで、同じようにこっそりとベッドに置いてやろう。どれだけ驚くことだろうか。
あたしはその遥の顔を想像して、一人でにっこりと笑った。