自分が望んだ恋愛だから2

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自分が望んだ恋愛だから2
2021年06月29日 23時54分
DUGA
スクラム

目覚めると紀子はゲストルームのベッドに横たわっていた。そして当たり前のように傍らに『彼』がいた。
「・・・ご主人さま」
思わずそう呟いた。『隠れ家』を離れてからも『彼』のことをそう呼んでいる。『彼』は紀子の額に手を当てながら言った。
「びっくりしたぞ。いきなり倒れるんだからな」
「・・・ごめんなさい」
「気にするな。とりあえずゆっくり休め。明日は日曜日だし、今夜は泊まっていけ」
どうやらあの時のショックで気を失ってしまったようだ。『彼』の気遣いに紀子は救われたような気分になり、ふと涙腺が緩んだ。この異常事態に関して問い詰めるような様子はまったくなく、ただただ自分のことを心配してくれるご主人さま。溢れた涙が頬にスッと伝う。それをさりげなく『彼』が拭き取ってくれる。嬉しさのあまり紀子は身体の震えが止まらなかった。
「ありがとうございます、ご主人さま」
『彼』は微笑んで、サイドテーブルの時計を見た。
「もう少ししたら夕食の時間だ。また来るからな」
そう言って『彼』は部屋を出て行った。紀子は天井を見上げ、そっと目を閉じた。

しばらくすると楽しい夕食が待っていた。『彼』の隣に座り、衣緒菜と怜の応酬を優奈と笑いながら観戦し、由衣の料理を堪能した。お酒も少し入り、紀子は気が楽になった。こうして彼らに会いに来るとまるで家族の元へ帰ってきた気がする。誰も紀子が気を失ったことには触れなかった。
「ご主人さま、さっきね、怜ちゃんが私のこと、馬鹿女って言ったんですよ!」
衣緒菜が箸で怜を指して言う。
「ほら、箸で人を指さないの」
由衣が衣緒菜をたしなめ、衣緒菜は子供のように唇を尖らせて素直に従う。由衣はいつも性奴隷達のお姉さん役である。そんな義姉の失態を注意するでもなく優しく見守る優奈。何も変わらない。
「紀子、助けてくれよ。こいつら喧嘩ばかりなんだよ」
『彼』が戯けるように紀子に声をかける。『彼』は上機嫌だった。紀子の突然の来訪を喜んでいるようだった。
「そう言えば、春香がよろしくって言ってたぞ。仲良いんだってな、お前たち」
「はい。あの子とは結構メールしてます。電話するといつも長電話になっちゃって」
以前、ここに遊びに来たときに春香と知り合って、女子大生同士、意気投合したのだった。『彼』の周りで紀子より若いのは彼女しかいなかったため、メールで留学の件を知ったときちょっと残念だった。彼女の送別会はぜひ参加したかったが、体調が優れなかった上にとても人前に出れるような精神状態ではなかったため、彼女にメールを送るだけにしたのだった。落ち着いたらまた長電話でもしようと思っている。

その後、話題が『彼』の妹のことに移ると、突然『彼』は落ち着かない様子になった。由衣や衣緒菜がそんな『彼』をからかうようなことを言う度に、怜や優奈が楽しそうに笑った。数年前の『隠れ家』の頃では考えられない光景だった。
(ご主人さま、随分と変わったなぁ)
本質的な部分は変わっていないのだろうが、表面的にはかなり丸くなった印象だ。優しい笑顔を浮かべることも多くなった気がする。だが、紀子は昔の『彼』も今の『彼』もどちらも同じくらい好きだった。
「紀子はそろそろ就職活動を考える時期か?」
「そうですね」
「お前はどうするんだ?」
『彼』は実の父親のように紀子を気に掛けてくれる。紀子の本当の父親は彼女の機嫌を伺うばかりの退屈な男だ。
(こんな人がお父さんなら良かったのに)
紀子はいつもそう思う。そしてすぐにその考えを否定する。確かに高校に進学した頃から両親とのコミュニケーションはなくなってしまったが、それでも苦労してきちんと育ててくれた、かけがえのない親なのだと思い直す。
「紀子ちゃんはやっぱりおっぱいを武器にするべきだと思うよ。すごいモン」
衣緒菜が笑いながらそう提案する。
「へっ?」
紀子が間の抜けた返事をすると同時に『彼』の言葉が飛ぶ。
「この馬鹿女が!」
「あー、ご主人さまにも言われた!」
可愛らしく泣く仕草をする衣緒菜を怜が優しく抱き寄せる。彼女たちは仲直りするのが早い。
「大丈夫。衣緒菜は私が面倒みてあげるから」
「怜ちゃん、ありがとう、大好き」
「そんなにすぐに仲直りするならイチイチ喧嘩するなよ」
微笑ましい光景に思わず笑っていると、ふと由衣と目があった。由衣はちょっと首を傾げて紀子に微笑んだ。
「どうしたの?」
「いえ・・・」
『隠れ家』で過ごしていた頃、『彼』がお父さんで由衣がお母さんだったらなぁと妄想したことがあった(もちろん年齢的には辻褄が合わないが)。綺麗で優しいお母さん。由衣は紀子の理想像でもあった。そんな彼女に対して醜く嫉妬してしまったことが、そしてきっと彼女は紀子の嫉妬に感づいたであろうことがとても恥ずかしく思えてくる。
「由衣さんはどう思われますか?」
「どうって紀子ちゃんの就職のこと?」
「はい」
すると由衣は真剣な表情になってうーんと考え出した。そんな彼女を見て『彼』がからかう。
「紀子、由衣に相談するのはいいけど、時間かかるぞ。お前が卒業するまでに答えが返ってくれば御の字だ」
「もうっ、そんなわけないじゃないですか。大事なことなんだから真面目に考えてあげないと」
口で言い合っていても目は笑っている。気を失う前に感じたあの感覚。本人達にはその気がなくても、何人たりとも寄せ付けないような圧倒的で、そして羨むような固い絆。
(夫婦みたい・・・)
この2人は結婚するのだろうか。2人ともそろそろそういったことを意識する年齢であるはずだ。そして2人が実際に結婚したらどうなるのだろう。そうなればさすがに『ご主人さま』とは呼べなくなるし、『彼』に抱いてもらうことも難しくなるだろう。じゃあ、『彼』を失ったら自分は何に縋っていけば良いのだろう。
(あれ、わたし・・・どうなるの?)
箸が止まり、暗い気持ちになる。灯りを消した自分の部屋にいるような気分に犯されてゆく。そして無意識に手首に手を添えて・・・
「紀子ちゃん」
由衣の声。見上げると、みんなが心配そうに紀子を見ていた。胸が締め付けられて泣きそうになるのをグッと堪え、紀子は無理矢理微笑んだ。
「久しぶりに酔っちゃったかも。ちょっと部屋で休みますね。本当にごめんなさい」
紀子と同時に『彼』が立ち上がる。
「せっかく遊びに来てくれたのに悪かったな」
「いえ、悪いだなんて。私が勝手に迷惑かけているだけです」
そのまま立ち去ろうとして、紀子は自分でも驚くような言葉を思い浮かべた。気丈な言葉にも思えるし、悪くすると自己嫌悪に陥りそうな言葉でもあった。
「あの、ご主人さま、気分が良くなったらお相手していただけますか」
『彼』は優しく紀子にキスをして、居並ぶ性奴隷達の前で明快に答えた。
「もちろんだ」

部屋に戻ると、紀子はベッドに身体を投げ出した。せっかくの楽しいひとときを台無しにしてしまった。『彼』のことも由衣のことも本当に大好きなのに、2人をセットに考えると落ち込んでしまう。さっき『彼』は由衣の前にも関わらず、紀子の誘いを何のためらいもなく受け入れてくれた。普段は離れていても『彼』は自分のことを愛してくれているのだ。それに自分は由衣に負けないくらい『彼』のことを愛しているはずだ。そこまで分かっているのにどうしても気持ちが割り切れない。
(わたしって最低だ・・・由衣さんの幸せを妬んでいるんだ)
紀子の中のネガティブな部分が先ほどの言葉を生み出したのだ。わざと由衣の前で『彼』を試したのだ。憂鬱になる。自滅して泥沼に嵌り込む。

しばらくしてドアを控えめにノックする音が聞こえた。寝付けなかった紀子はぼんやりと返事をした。由衣だった。
「気分はどう?」
由衣は心配そうな顔をしながら、水の入ったコップと錠剤をお盆に載せて持ってきてくれた。
「ごめんなさいね、せっかく遊びに来てくれたのに・・・あっ!」
たまらなくなって紀子は由衣に抱きついていた。お盆がひっくり返り、水が零れて床を汚す。紀子は由衣の腕の中で泣きじゃくった。由衣は零れた水や散らかった錠剤をそのままに紀子をしっかりと抱き締めた。

気が触れたように泣きまくって、ようやく気持ちが落ち着いた紀子は由衣に自分のことを正直に語った。話さずにはいられなかったというのが正しいかもしれない。ここ数ヶ月、自分はすっかりおかしくなってしまい、アルコールへ逃避し、あやうくリストカット寸前まで追い詰められていることを隠さずに告白した。由衣は口を挟まずに最後まで聞いてくれた。そして最後に「そうだったんだ」と小さく呟いた。彼女の目には底知れぬ悲しみをたたえているように見えて、紀子は彼女に打ち明けたのは間違いではなかったと悟った。紀子は意を決してこんなときにしかできないようなことを訊くことにした。
「由衣さん」
「なあに?」
「ご主人さまと結婚したいですか?」
体裁もへったくれもない直球。不躾ではた迷惑な質問。これで彼女に嫌われても仕方がない。だが、由衣は嫌な顔をせず、即答した。

「はい」

あまりに明瞭で簡潔だった。普段の彼女なら穏やかな物言いで「できればそうしたいな」とか「そうならいいのにね」とか「ご主人さまがお望みなら」とでも言いそうなものだが、そうではなかった。彼女の明快な回答には曖昧な願望ではなく力強い意志が感じられた。紀子は項垂れた。
「・・・そうですよね」
紀子はこみ上げてくる感情を抑えきれず、再び肩を震わせた。せっかく泣きやんだのにまた涙がこぼれ落ちそうだった。
「じゃあ、紀子ちゃんは?」
逆にそう聞かれて紀子は反射的に首を横に振った。
「分かりません。・・・私、どうしたらいいのか」

重い沈黙が垂れ込める。紀子と由衣はベッドの端に並んで腰を掛けていた。紀子はようやく顔を上げた。ふと由衣の足下のカーペットの染みと錠剤が目に入った。
「汚しちゃってごめんなさい」
「いいよ、そんなこと。ご主人さまの煙草の煙に比べたら大したことじゃないし」
そう言ってふふっと微笑む。紀子もつられて笑う。
「本当にごめんなさい。もう泣きませんから」
もう一度、甘えるように由衣にもたれ掛かる。由衣は紀子の髪を撫でる。
「由衣さん、大好き」
「私も」
しばらくその姿勢で2人はぼんやりと時間を過ごした。

どのくらい経ったのだろう。部屋のドアがノックされた。『彼』だった。薬を持って行った由衣がなかなか戻ってこないので心配して見に来たのだろう。紀子の頬の涙の跡を見たのか、綺麗好きな由衣がカーペットのシミと散らばっている錠剤をそのままにしていることで非常事態と察したのか、やや驚いた様子だった。
「由衣、選手交代だ」
「はい」
由衣は紀子を今一度抱きしめてから、そっと離れてゆく。代わりに『彼』が紀子の隣に腰を下ろした。
「由衣が持ってきたのが水じゃなくて実は熱いお湯だったことにお前がキレて由衣に掴みかかったが、その弾みにお湯をこぼしてしまい、由衣に逆ギレされて泣かされてしまったということでいいかな?」
そういきなり言われてうまく飲み込めずにポカンとする紀子。すると『彼』は照れくさそうな顔をして紀子をベッドに押し倒した。
「俺の気遣いをフイにするとはお前もいい度胸だな!」
『彼』が覆い被さってくる。この瞬間をずっと待ち焦がれていた紀子はこみ上げてくる感情を抑えきれずに泣き出してしまった。
「おいおい、泣くならエッチしてやらないぞ」
紀子は慌てて首を振った。
「違うんです。嬉しくて・・・嬉しくて」
たまらなくなって紀子は貪るように『彼』にキスをして、抱きしめた。
(ご主人さま!)
紀子は無我夢中で『彼』の服を脱がし始めた。我慢することなどないのだ。自分で勝手に落ち込むのはもうやめよう。自分の気持ちに正直になって思う存分『彼』に抱かれよう。世界で一番愛する男にありのままの自分を感じてもらうのだ。

すべてが終わると心身ともに疲れ果てた紀子はそのまま寝入ってしまった。目覚めると翌日の昼前だった。バツが悪そうに紀子がリビングに顔を出すと、『彼』と由衣の笑顔が迎えてくれた。
「どうも我が家のゲストルームで泊まる客は寝坊助が多いな」(注:『若妻牝奴隷 舞子』でゲストルームに宿泊した舞子が寝坊したことを言っています)
『彼』がそう呟くと由衣は楽しそうに微笑んだ。紀子は嬉しくなった。
「おはようございます、ご主人さま、由衣さん」
「おう」
「おはよう、紀子ちゃん」
紀子はソファーの『彼』の隣に腰を下ろした。フカフカのクッションである。
「紀子ちゃん、何か飲む?」
「ありがとうございます。じゃあ、コーヒーをいただきます」
由衣がキッチンへ行くと、『彼』が紀子のあごを少しだけ持ち上げてキスをしてきた。甘く蕩けるようなキス。
「昨夜は久しぶりに燃え尽きたぞ。衣緒菜も顔負けだ。いい女になったな」
「ありがとうございます」
『彼』の手が紀子の腰に回る。『彼』に愛されると思っただけで身体が火照ってしまう。胸を優しく愛撫されただけで濡れてしまう。子猫のように『彼』に甘える。『彼』が嬉しそうにしているだけで紀子は幸せだった。しばらくそんな時間が流れて、やがて『彼』が紀子の華奢な両肩にそっと手を置き、正面から見つめ合う格好になった。何か話があるのだということはすぐに分かった。
「なあ、紀子。由衣が外しているうちに大事な話をしてもいいかな」
「・・・はい」
「こういう話を夜にしてしまうとやたら寝付けなくなったり、不安になって気落ちしてしまうからな。なら、今、話してしまおうと思ってさ」
紀子は頷き、『彼』の目を見つめて、『彼』の言葉を待った。
「悪いと思ったが、いろいろと由衣から聞いたよ」
「はい」
「お前がそんなに苦しんでいたんだと思うと俺はとても辛い」
「・・・ごめんなさい」
「いや、謝るのは俺の方だよ。いろいろと責任を感じた。本当だぞ」
ここで『彼』は一旦言葉を切った。そしてキッチンで自分たちに背を向けている由衣を一瞥して再び紀子に向き直った。
「由衣と紀子、どちらも得難い最高の女だ。自分で言うのもなんだが、俺はお前達を見つけて手に入れた自分が誇らしいよ」
紀子は無言で頷くことしかできない。『彼』の声はいつになく緊張しているように思えた。
「でも、どうしてもどちらかを選べということになれば・・・」
『彼』はそこでもう一度言葉を止めて、紀子を抱きしめた。紀子は『彼』の温もりを肌で感じながらそっと目を閉じた。『彼』の言葉の続きは明らかだった。

「今の俺は由衣を選ぶかな」

こみ上げてくる思い。『彼』の気持ちは最初から分かっていた。昨日ここへ遊びに来ようと思い立って支度していた時から分かっていた。いや、もっと前、夏に遊びに来て帰り道に号泣した時からかもしれない。もしかしたら由衣と同棲していることを初めて聞かされた時にはすでに確信に近い予感が心に秘められていたのかもしれない。分かっていたけど、どうしても自分の気持ちを抑えられなかったのだ。
(ご主人さま・・・ごめんなさい)
『彼』はこんなことをわざわざ言いたくなかったに違いない。それでも心を鬼にして自分のために言ってくれたのだ。由衣から全てを聞いた以上、曖昧に逃げることで事態が悪化することのないように、拒否されることを恐れずに言ってくれたのだ。『彼』の手が優しく紀子の髪を撫でる。
「もう少し言うと、今の話の相手が衣緒菜であっても優奈であっても怜であっても、答えは同じだ。ただ言っておくが、今、俺が話しているのは『どうしてもどちらかを選べ』と言われたらの話だよ」
少しでも相手の傷を浅くしようという『彼』の気遣いに紀子は胸が熱くなった。泣くまいと必死に堪えようとしたが難しかった。涙が溢れ、頬を伝う。
「俺を恨むか?」
紀子は慌てて首を横に振った。恨むなんてとんでもない。感謝してもしきれないのに。
「でもさ、できれば誰かひとりを選ぶなんてことしたくないんだよな。左腕と右腕、どちらかを選べって言われてるのと同じだからな」
涙が止まらない。視界がぼやけて『彼』の顔がおぼろに映る。自分はどんな顔をしているのだろう。言いたいことはたくさんある。ありすぎて困るほどに。だが、喉を通して絞り出されたのは・・・

「ありがとうございます、ご主人さま」

という言葉だけだった。紀子は『彼』の胸に飛び込んだ。たった今、他の女を選ぶと言った男の温もりを感じながら紀子は思う。いつかこうなることは分かっていた。大勢の女と一人の男。ただ、それでも自分が『彼』を愛したことに悔いはないし、これからも愛し続けるだろうことに迷いはない。その愛が深ければ深いほど自分の傷は広がってゆく。でも、

・・・これは自分が望んだ恋愛だから

もう泣かない。ここで後ろ向きになったら『彼』の言葉を無下にしてしまう。『彼』の期待を裏切ってしまう。そして何よりも自分の気持ちを曲げることになる。前向きに生きよう。今は目に見えない不安に怯えないことだ。『彼』がこの先どうするのか、自分がこの先どうなるのか、そんなことは誰にも分からないのだ。今を大事にするのだ。『彼』との一瞬一瞬を大事にしよう。
「ご主人さま、もう少しだけこのままでいさせてください」
『彼』に優しく包まれながら、紀子は満足そうに目を閉じた。

あの日以来、紀子はよく遊びにくるようになった。悩みを吐きだして彼女なりに心の整理ができたのか、吹っ切れたように笑顔を絶やすことがなかった。使い道のなかったゲストルームには紀子の私物が置かれるようになった。彼女がどれだけ深い闇の中で苦しんでいたのかは本人にしか分からない。ただ、あの日彼女と凄まじいセックスをしたときにそれを垣間見たような気がして、重い責任をヒリヒリと感じた。『隠れ家』を離れた後も順調に学業に励んでいる様子だったし、夏に会った時も元気だったので今回のことは大変な驚きであった。

紀子とセックスした後で寝ずに待っていた由衣から事情を聞いたとき、私は責任を感じると同時に由衣への思いを紀子に伝えるべきだと思った。由衣を選ぶことで他の女達を切り捨てるつもりは毛頭ない。皆、得難い存在であり、今や自分の一部も同然なのだから。だが、ここできちんと伝えないと紀子のためにはならないと直感した。うまく言えないが、私が曖昧に逃げてしまった先に彼女の自殺という最悪の事態が強くイメージされたのだ。それでも相当悩んだ。もしかしたら彼女に深く恨まれるかもしれない、また、攻撃の矛先が私ではなく由衣に向かうことで由衣が酷い目に遭うかもしれないと。

こんなことを考えていたら、激しいセックスで疲労していたにもかかわらず、一睡もできずに朝を迎えてしまった。やがて由衣が目を覚まして私が起きていることに気づいた。
「おはようございます。今日は早いですね」
そう言ってから彼女は私が寝付けなかったことに気づいたのだろうか、少し不安そうな顔をした。
「・・・大丈夫ですか?」
私はこみ上げてくる思いを必死に抑えていた。乾いた唇を舐めた。
「なあ、由衣」
由衣は無言で私を見つめた。
「紀子は、・・・紀子は俺の言葉を受け入れてくれるかな」
これだけでは何のことか分からないはずなのに彼女はさすがだった。きっと私の考えを察してくれたのだろう。私を気遣うような微笑みを浮かべながら力強くこう答えた。
「大丈夫だと思います。ご主人さまの言葉にまやかしがなければ、紀子ちゃんならきっと大丈夫」
私は彼女の答えを聞いてようやく覚悟を決めた。
(そうだ、彼女はあの水谷紀子なんだ。あんないい女が俺に恨みを持ったり、由衣を攻撃することなどあるはずがないじゃないか!)
覚悟を決めると、夜通し悩んでいた自分を情けなく思い、愛する紀子を少しでも疑ったことを恥ずかしく思った。そしてその数時間後、紀子は涙しながらも私の言葉を受け入れてくれた・・・と思う。

紀子が帰宅した日の夜、ふとしたきっかけで由衣に聞いてみた。
「衣緒菜たちも同じような気持ちなのかな」
まるで由衣を選ぶことを前提にしているようで気恥ずかしかったが、由衣はそんな時に茶化すような女ではない。やや間をおいてこう答えた。
「私も含めてみんなご主人さまのことをとても愛しています。大切にしてくださいね」
彼女は絶対に自分本位なことは言わない。2人きりで話している時でも、同棲をしている優位な自分と他の性奴隷達を分けて考えることがないのだ。決して用心深いとか計算高いとかそういうわけではなく、それが彼女の本質なのだろう。むしろ、たまにこちらがやや物足りない思いをするくらいである。彼女らしい答えを聞いて安心した。
「これで亜美と愛も泊まりに来るようになったら、部屋が足りなくなるな。春香のご両親にお願いして隣の空き部屋を借りるかな」
亜美と愛はたまにもらう電話やメールで知る限り、彼女たちの道をしっかり歩んでいるようだ。紀子の件があったから断言はできないが、おそらく彼女たちは性奴隷という生活に戻ることはないだろう。由衣もそう思っているはずだが、私の言葉に嬉しそうに弾んだ声でこう答えた。
「いいですね!またみんなと一緒になれたらいいのに」
愛、亜美、紀子の大学生組が『隠れ家』を離れた時、しばらくの間、由衣はずっと泣き通しだった。まるで私の判断を責めるように彼女たちを思い出しては泣いていたのだ。お姉さん役として彼女たちを見守っていただけに心底寂しかったのだろう。

「そろそろ寝るか」
「はい」
由衣が電気を消す。寝室が漆黒に覆われる。自分を愛してくれる女がこれよりも深い暗闇で孤独に泣いていたのだと想像するだけで胸が締め付けられる。『隠れ家』に住んでいた頃は随分と無茶なことをしたし、自分の気まぐれで多くの女性の人生に関わった。その全ての女性達を一様に幸せにするというのはとても困難なことである。だが、せめて自分を愛してくれる者には自分なりのやり方で幸せに導いてやりたい。それは『隠れ家』時代から一貫した考えではあるのだが、果たしてそれができているのかどうか。そういったことを考え直す意味で今回の紀子の件は私にとって非常に大きな意味を持つこととなった。

<完>

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シリーズ連載 : 私と性奴隷たちとの日々